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UXという言葉が登場する以前に私が見たUXデザイン:人間工学編

萩本晋

オフィス機器メーカー、ユーザビリティ評価専門会社を経て、2013年に株式会社キトヒトデザインを設立。ユーザビリティ、UI/UXデザイン関連業務を行う。 趣味はちょっとマイナーな国への旅行。一番最近行った国はウズベキスタン。

UXという言葉が騒がれるようになる前にも、UXデザインらしきものは確かにさまざまな形態で存在していました。この寄稿記事では、株式会社キトヒトデザインでユーザビリティ、UI/UXデザインなどを手がけている萩本さんがご自身で体験したデザインのお話を不定期更新でお届けしています。今回は第7回目です。シリーズ全編はこちら

「人間工学」というと、UIデザインやUXデザイン、ユーザビリティとは別の分野だと思われる方も多いと思いますが、私の中ではかなり近いものだと思っています。

人間工学研究室

私が行った千葉大学工学部工業意匠学科(当時)には、当時9つの研究室がありました。3年生まではどの研究室の授業も自由に選択でき、4年生になるときにいずれかの研究室に所属して卒業研究を行います。研究室は、デザインの王道のプロダクトデザイン、グラフィックデザイン、空間デザインの他、デザインの要素技術に特化した研究室がいくつかありました。その中の一つが人間工学研究室(当時)でした。

小学生のころから「人間工学」という言葉は知っており(「発接触編」参照)、造形能力だけで戦えるほどの自信もなかった(「工業デザイン編」参照)私としては、人間工学研究室は行きたい研究室の最有力候補でした。

4年生になって希望通り人間工学研究室に入り、結局大学院修士課程まで進んだので、学生時代の前半3年間は工業デザインをまんべんなく学び、後半3年間は人間工学に特化して学んだことになります。そして、私にとってはこの後半3年間がその後のキャリアを決定的にしたように思います。

人間工学研究室で学んだことは、もちろん様々な専門知識がありました(今振り返ると、大したものではなかった気もしますが)。でもそれ以外にも、きちんとした論理展開を求められる論文を書いた経験や、厳しいツッコミにさらされる学会発表の経験、企業からの委託研究で企業の方と接した経験、研究者にとって本当にありがたい被験者の方と接する経験などは、その後の仕事においてかなり役立っているという実感があります。

人間工学とUIデザイン

さて、人間工学を専門に学んだのであれば、人間工学とは何か? を端的に説明できそうなものですが、大学でそれをきちんと教わったかどうか、いくら考えても思い出せません。人間工学の定義や歴史についての詳細は、日本人間工学会のWebサイトやその他ネットなどで調べてみてください。

私なりの理解としては、人間の特性を考慮した工業製品の設計開発の考え方や方法論のことだと思っています。

工業製品というと、多くの方はハードウェアを思い浮かべるかもしれませんが、機器に組み込まれたソフトウェアやコントロールパネルの操作画面はもちろん、広くアプリやWebサイトも含むと考えることもできるでしょう。それらをユーザーの特性を考慮して設計、デザインするというのは、UIデザイン、ユーザビリティとまったく同じ考え方です。

ところが、世の中で「人間工学的に考えられた設計」という謳い文句をよく聞くのは椅子やベッドや、たまにペンやマウスなどがある程度で、なぜかハードウェア寄りのイメージが強いようです。一方、スマートフォンアプリやWebに対して「人間工学的」という表現はより「UIデザイン」「ユーザビリティ」という言葉が使われることが多い気がします。ただ、UIは操作画面のことだけを指す言葉ではありませんし、ユーザビリティも画面に特化した意味合いではありません。

結局のところ、「人間工学」=ハードウェア、「UIデザイン/ユーザビリティ」=画面という切り分けは誤った認識が習慣化したもので、本質的には両者に大きな差があるとは思えません。

人間工学の3つのアプローチ

さて、人間工学の全体像は私もよくわからないのですが、人間工学が扱う人間の特性については、学生時代に先輩から聞いた説明で腑に落ちた経験があります。これが正しい解釈なのかはわかりませんが、今でも自分の仕事をこの考え方で理解しています。

人間そのものを科学研究の対象とする場合、そのアプローチが3種類あるというのが先輩の説明でした。すなわち、解剖学的アプローチ、生理学的アプローチ、心理学的アプローチの3つです。人間工学が人間の特性を議論するときは、このアプローチを踏襲しています。

解剖学的アプローチ

解剖学的アプローチとは、メカとしての人間の特性に着目するやり方です。代表的な例として、人体寸法や構造、手足の可動域などに合わせて、家具などの高さ、ハンドルの大きさや形状、作業スペースの広さなどを設計、デザインするといったものがあります。

このアプローチに基づいて製品デザインを行う場合、ハードウェアの構造や形状に影響する場合が多くなります。世間的には「人間工学」というと、この解剖学的アプローチのみを指すイメージが強く、その結果、椅子やベッドなどのハードウェア設計のための学問と認識されてしまいがちなのでしょう。

生理学的アプローチ

生理学的アプローチは少々わかりにくいのですが、人間の電気的、化学的活動の特性に着目したものです。私が所属した研究室では、当時この生理学的アプローチに最も力を入れていました。私の場合、自分の研究では主に筋電位を測定していました。たとえば腕に電極を貼り付けて筋電位を測定すると筋肉への負担の大きさが客観的にわかります。大きさや形状、重さや重心のバランスなどが異なるテレビのリモコンやビデオカメラを手に持った状態で筋電位を測定すると、筋負担の大きいものと小さいものがわかるので、適切な設計するための指標になります。

同じ研究室に所属する周りの人たちは、筋電位以外の様々な生理データを測定していました。脳波を測れば、緊張やリラックスといった精神状態がある程度わかりますし、皮膚温、直腸温、血流量、発汗量などを測ることで温熱環境的な快適性の指標にしようという研究も多数行われていました。私はこれらの研究ではよく被験者をやりました。

心理学的アプローチ

心理学的アプローチは、人間の心理的特性に着目したものです。特に認知心理学は重要で、これは情報処理装置としての人間の特性を取り扱っている学問です。当時別の大学から非常勤講師として私の大学に教えに来ていた先生は、交通に関わる心理学を主要な研究テーマとしていた方でした。授業では多数のスライドを使って興味深い話を聴かせていただきました。

たとえば、高速道路の入り口に大量に掲げられた標識を走行中の車から見て、その全てを理解するのは人間の能力では不可能なことです。警察は、標識に書かれている注意事項が守れないのはけしからんと取り締まるのですが、人間には不可能な方法で注意事項を提示するのはいかがなものか、といった具合です。

心理学的アプローチという点では、道路標識もWebやアプリの画面デザインもまったく同じで、デザインするものが変わっても配慮すべき人間の認知的特性はほとんど変わりません。UIデザインやユーザビリティと直結するのは、この心理学的アプローチだと言えるでしょう。

なお、実際には、メカとしての性能である筋力を筋電位で測定したり、リラックスという心理状態を脳波で確認したりするので、3つのアプローチは相互に関わっており、「心理生理学」などといった中間的な学問領域も存在します。いずれにしろ、この3つのアプローチで、概ね人間の特性は捉えることができそうです。

UXデザインは3+1?

学生時代からこのような人間工学「観」を持っていた自分にとって、UIデザインもユーザビリティも結局3つのアプローチのいずれかにほぼ該当するので、それほど大きな差は感じません。

ただ、人間の心理のうちワクワク感や愛着など、感情や情動の要素については、人間工学ではあまり扱っていなかった印象があります。工業デザインにおける人間工学の役割は、そのデザインが適切であることの科学的な裏付けを提供することにあるわけですが、感情は科学的な方法論で扱いづらかったためデザイナーのセンスに任せていたということかもしれません。

ユーザビリティでも「満足度」という要素は扱うものの、必ずしも優先順位は高くありません。そしてUXデザインでは、感情の要素は割と重要なものとして取り扱われています。

そうなると、UXデザインを考える上では、解剖学、生理学、心理学的アプローチに感情の要素を加えた3+1で捉えると、しっくりくるのではないかと考えています。今でも感情を科学的に扱うのは難しいと思いますが、だからと言ってこれを排除してしまっては体験を論ずることはできません。

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