この寄稿記事では、株式会社キトヒトデザインでユーザビリティ、UI/UXデザインなどを手がけている萩本さんがご自身で体験したデザインのお話を不定期更新でお届けします。「人間工学」がテーマだった前回に引き続き、今回は「工業デザイン」にフォーカスをあてたお話です。今回は第2回目です。シリーズ全編はこちら
前回の記事から、時代は一気に飛んで1980年代後半、私は工業デザインを学ぶ大学生となりました。
工業デザインという選択肢
私の通った高校では、大学受験に向けて高2から文系理系別のクラス分けになるので、高1の時にどちらかを選択する必要がありました。
もともと絵を描くことは好きで美術の成績はよかったのですが、美大目指して本格的にトレーニングを積んでいる人たちと競えるレベルだとは思っていませんでした。気質的にはやや理系的だと思うのですが、化学は得意でも物理は苦手でしたし、社会は苦手でも日本史だけは好きというように、私はどちらを選ぶべきかはっきりしない生徒でした。
そんなとき、理系のはずの工学部に工業デザイン学科がある大学が存在することを知りました。入試科目を調べてみると数学、英語の他に理科1科目と絵を描く試験があり、「おお、これだ!」ということで、目指すべき大学が決まりました。
後々わかってくることですが、工業デザインは学際的なポジションで、その活動には感性も理性も総動員する必要があります。完全な理系でも完全な文系でもない私のような人間には馴染みやすい世界だった気がします。
自己表現ではないデザイン
結局私は、千葉大学工学部工業意匠学科(当時)に入学しました。
みなさんは「デザイン」というと、どのようなイメージを持たれるでしょうか? 当時と比べれば今の方が一般的な理解は進んでいると思いますが、やはりファッションデザインのイメージは強いと思います。
私「工業意匠学科に所属しています。」
相手「工業イショウって何をやるのですか?」
私「デザインです。」
相手「工業のイショウでデザインというと、作業着のデザインですか!?」
というウソのようなやり取りが実際にありました。
仮にファッションと結びつけないまでも、多くの人は、デザインというとデザイナーがその独自の感性にまかせて作品を作り出す、作家性の強い造形活動だと捉えていると思います。私も大学に入るまではそれに近いイメージしか持っていませんでした。
大学に入ると、実際の作品を作るような課題とは別に、デザインとは何か? デザインには何が重要なのか? といったことを教わる講義がありました。それは、それまでの自分が、そして今も多くの人が思い描いているデザインとは少し違うものでした。
まず、デザイン、特に工業デザイン、産業デザインなどと言われる、工業製品のデザインは、デザイナーの自己表現ではありません。商品企画上の狙いやコンセプト、実現すべき機能、開発製造コスト、開発期間、ブランドイメージなど、様々な制約の中で適切なデザインを提案する必要があります。
わかりやすく言えば、デザイナーが近未来的なメカメカしいデザインが好きだとしても、コンセプトによっては可愛い雰囲気のデザインに仕上げなければならないことがあるわけです。どんなにコンパクトにデザインしたくても、機能的に内部の部品を収めるために然るべき大きさが必要であれば、そのサイズでデザインしなければいけません。金属で作りたいと思っても、コスト的にプラスティックしか使えない場合は、プラスティックで作るしかありません。
もちろんその範囲の中で個性を発揮することはできますし、時には制約を変更すべく提案、交渉することもあり得ますが、基本的には自分自身の内側からくる望みとは異なる、外からの要求に応えてデザインすることがデザイナーの仕事だと言えます。
課題解決としてのデザイン
デザイナーの仕事は、製品の見た目の形や色を魅力的に見せることだというイメージが強いと思いますが、大学ではそれだけではないことをしつこく教えられました。そのとき頻繁に登場したキーワードの一つが「課題解決」でした。つまり、そのデザインにすることで、何らかの課題を解決することが重要であるというのです。
わかりやすい例として、携帯電話に対して二つ折りのデザインを提案するケースを考えてみましょう。
二つ折りにすることで、造形的に特有の見た目を提案することができますが、さらにコンパクトに収納できますし、デリケートなディスプレイを保護することもできます。うっかりカバンの中でボタンが押されて誤動作しまう心配もありません。つまり二つ折りデザインは様々な課題の解決策になっているわけです。
二つ折りデザインのためには、実際に電話を二つに折り曲げられる機構を実現しなければいけません。つまり、デザインを「課題解決」のための手段と位置づけるということは、デザイナーが造形以外のことにも踏み込んで関わっていくということになります。
ちなみに、すでに顕在化して多くの人が認知している「課題」は「問題」と言い換えてもいいかもしれません。この場合の「課題解決」はすなわち「問題の改善/対策」です。現在のUXデザインで言えば、ユーザビリティテストで見つかったUI上の問題に対して改善案を提案するようなケースはこれに相当すると思います。
一方で、まだ多くの人が意識していない、潜在的な「課題」というのもあり得ます。これに対する「課題解決」は「新しい価値の提案」であり、イノベーションとほぼ同義だと思います。現在のUXデザインで言えば、行動観察やインタビュー調査によってユーザーの潜在ニーズを発見し、そのニーズにあった製品や機能、サービスを作ることに相当します。
当時から「問題の改善/対策」「新しい価値の提案」はいずれもデザインの役割であり、私が教わった「課題解決」には両方の意味が含まれていたと理解しています。
コトのデザイン
もう一つ、よく言われていたキーワードが「モノのデザインからコトのデザインへ」というものです。
先ほどの二つ折り携帯電話は、「課題解決」の例であると同時に「コトのデザイン」の例でもあります。デザインしたのはあくまでも2つ折れ携帯電話という「モノ」ですが、それによってデザイナーが提供したかったのは、ディスプレイ保護や誤動作防止というソリューションであり、「モノ」そのものではありません。
また二つ折りにすることで、使い始めるときに開き、使い終わったら閉じるという「作法」のようなものが生まれます。二つ折りにすることでお化粧用のコンパクトに似た印象で、女性がバッグの中に入れておいても恥ずかしくない、安心感や親しみを感じるといった気分にさせる効果もあるかもしれません。これらの「作法」や「気分」もデザイナーの狙いですが、やはりこれも「モノ」そのものではありません。
こうして考えてみると、デザイナーが実際に造形しているのは具体的な「モノ」かもしれませんが、真にデザインしているのは「ソリューション」や「作法」や「気分」その他の、より抽象的な「コト」なのだと言えます。そのような効果を生み出すための手段として「モノ」をデザインしているということです。
まとめ
ということで、デザインは自己表現ではありません。当時は、人間中心とまでは言われていなかったかもしれませんが、少なくとも作り手中心ではいけないことは意識されていました。
そして、デザインの目的は「モノ」の造形ではありません。より抽象的な「課題解決」や「コト」を提案することを目的としています。これはUXデザインでいうところの「ユーザー体験」と完全に同じではないかもしれませんが、概念的にも目指すべきものもかなり近い考え方だと思います。
ユーザー体験を重視した製品、サービス開発を表す言葉は、なぜ「UXマーケティング」でも「UX開発」でもなく「UXデザイン」と呼ばれるようになったのでしょうか? それは、デザインがUXという言葉や概念が生まれる前から、いち早くそれに近いものを意識して、その重要性に気づき、デザイン手法の中に取り入れようとしてきた、すなわちUXとの親和性が非常に高かったからではないかと思います。
私自身もともとデザイン畑にいた人間なので、やや贔屓目に見てしまうことは否定できませんが、少なくとも私が「UXデザイン」という概念を比較的すんなり受け入れられたのは、学生時代、すでに近い概念に触れていたからだと思います。
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UXという言葉が登場する以前に私が見たUXデザイン