UXという言葉が登場する以前に私が見たUXデザイン:PARC編

萩本晋

オフィス機器メーカー、ユーザビリティ評価専門会社を経て、2013年に株式会社キトヒトデザインを設立。ユーザビリティ、UI/UXデザイン関連業務を行う。 趣味はちょっとマイナーな国への旅行。

UXという言葉が騒がれるようになる前にも、UXデザインらしきものは確かにさまざまな形態で存在していました。この寄稿記事では、株式会社キトヒトデザインでユーザビリティ、UI/UXデザインなどを手がけている萩本さんがご自身で体験したデザインのお話を不定期更新でお届けしています。今回は第12回目です。シリーズ全編はこちら

私は大学のときに初めてAppleのMacintoshに触れました。これをきっかけにMac関連の雑誌などを読みあさるうちに、GUIがコンピューターを操作するユーザーインターフェイスとしていかに画期的だったか徐々に理解するようになり、実は最初にGUIシステムを作ったのはAppleではなくPARCだったことを知るに至りました。

PARCはPalo Alto Research Center(パロアルト研究所)の略で「パーク」と読みます。もともとはアメリカのゼロックスの一部門だったはずですが、現在はゼロックスの子会社のようです。今回は、そのPARCを取り上げます。

GUIの歴史

コンピューターが、特別な専門知識を持たない一般の人でも使えるツールとして普及した要因の一つとしてGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)は多大な貢献をしていると思います。そのGUIに欠くことのできないポインティングデバイスの代表がマウスですが、これはダグラス・エンゲルバートという人が発明しました。エンゲルバートが1968年にマウスを使って行ったプレゼンテーションは非常に有名です。このときの映像が残っており、現在YouTubeで見ることができます。

このプレゼンテーションを見ていたアラン・ケイは誰でも使える理想的なパーソナルコンピューターのあるべき姿を提唱して、これを「ダイナブック」と呼びました。このときのダイナブックの特徴を見ると、現在のタブレットに近いイメージだと思います。

アラン・ケイはその後PARCに在籍し、GUIを採用したAltoというコンピューターや、世界初のオブジェクト指向プログラミング言語であるSmalltalkなどを開発しました。Altoは、当時の技術で可能な限り「ダイナブック」のコンセプトを具現化したもので「暫定ダイナブック」と呼ばれました。

1979年、PARCを見学したスティーブ・ジョブズをはじめとするAppleのメンバーが、Altoに触発されてLisaというコンピューターを開発し、その後Macintoshが生まれました。さらにMacintoshに触発される形でMicrosoftがWindowsを開発し、GUIシステムが広く世の中に浸透していくこととなりました。

PARCへの憧れ

学生時代は、PARCやAltoに興味を持つこと自体かなりマニアックで、入手できる情報も限られていました。Mac関連の雑誌などに載っている断片的な情報を頭の中でつなぎ合わせて想像するしかありませんでした。それでもPARCがいかに画期的で、その後のコンピューターにとって重要な成果をあげていたかはよくわかりました。

就職先として富士ゼロックスを選んだ理由はいくつかありますが、頭の片隅にPARCへの憧れがあったのは間違いありません。技術系の同期の中には、PARCやAltoを知っている人もいて、妙に親近感を覚えたものです。

新人研修のとき、GUIの特性などを説明した文章を丸暗記するという何とも不思議な課題がありました。私は書かれている内容の意味を完全に理解できましたが、文系出身の同期の中にはパソコンを触ったことがない人もいたので、意味もわからず暗記するのはさぞ大変だっただろうと思います。

日本の富士ゼロックスは、アメリカのゼロックスとのつながりは強いもののあくまでも別会社なので、実際には富士ゼロックスに入ったからといってPARCが身近になるということはありませんでした。でも、上司がアメリカ出張の際PARCを見学してきたという話を聞かされたり、富士ゼロックスもPARCに研究部門が入っていたので、そこの方が帰国した際、研究成果をデザイン部門でプレゼンしていただいたことがありました。

J-Star使用体験

Altoは、学校に貸し出して子供たちに使ってもらいフィードバックを得るといったことをやっていたらしく、それなりの台数作られたようですが、結局市販されることはありませんでした。その後、Altoで培ったGUIシステムが商品化されたのがStarというコンピューターです。発売は1981年なので、1983年発売のLisaよりも早く、実はStarが世界で初めて市販されたGUI搭載コンピューターでした。ただしStarはワークステーションというカテゴリーに分類され、Lisaはパーソナルコンピューターに分類されるので(両者の違いは、私もよくわかりません)、「GUI搭載パソコン」と言った場合はLisaが世界初となります。

そして、Starを日本化して富士ゼロックスが国内販売していたのがJ-Starで、私が入社した当時は全社のコンピューターシステムとして日常的に業務で使用していました。私自身も、入社してから2〜3年はJ-Starで報告書を書き、メールのやり取りをしていました。

現在パソコン用のGUIシステムというとほぼWindowsかmacOSなので、暗黙のうちにこれらがGUIの標準となっており、なかなかそれ以外のGUIシステムに触れる機会はありません。ましてや、Mac以前のGUIであるJ-Starを業務で日常的に使用していた経験は極めて貴重で、UI/UXを生業としている私にとって大きな財産だと思っています。残念ながら細かい操作方法まではおぼえていませんが、いくつか記憶に残っていることをご紹介したいと思います。今から40年ほど前のGUIなので、もちろん洗練されていない点が多々ありましたが、部分的にはむしろ優れているのではないかと思う点もありました。

ドキュメント志向

J-Starには、アプリという概念はなかったように思います。その代わりに機能ごとの白紙のドキュメントファイルが所定のフォルダー内に用意されているので、たとえばワープロ機能を使いたければ、ワープロ用の白紙ドキュメントを複製して立ち上げるとワープロ機能が使えるのです。もちろん内部的にはアプリケーションソフトウェアが動いているのでしょうが、基本的にユーザーはドキュメントファイルしか触れることはありません(業務システムであり、システム管理者によって管理されていたので、エンドユーザーである私がソフトをインストールするようなことはありませんでした)。

この見せ方は、アプリケーション指向ではなくドキュメント指向と言えるもので、ある意味あるべき姿だと思えます。パソコンにしろスマートフォンにしろ、画面上にアプリのアイコンが並んでいるのが当たり前に思えるかもしれませんが、ユーザーが本当に関心を持っているのは、自分が作ろうとしている文章や図表といったコンテンツのはずです。アプリは、それを自分が意図したとおり作成、編集するための脇役に過ぎませんから、画面内で存在感を主張する必要などないのです。

実はAppleも1990年代にOpenDocというドキュメント志向のシステムを開発していたことがありましたが、結局完成には至りませんでした。それ以降、パソコンの世界はずっとアプリケーション志向で、それはそのままスマートフォンにも引き継がれています。

メール機能

J-Starはネットワークありきのシステムで、私が在籍していた当時でも、少なくとも技術系の社員は一人一台端末が与えられ、メールアドレスが付与されていたのではないかと思います。デザイン部門に所属していた私も、開発部門の方と頻繁にメールでやりとりをしていました。

メールで文書ファイルを送るとき、まず新規メールを作成して、それに文書ファイルを添付するというのが、多くの人が思い描く操作手順かと思います。書類を送信するためにまず封筒を用意するような感覚でしょうか。

J-Starでも同じ仕組みがあったと記憶していますが、それだけではありませんでした。J-Starで作られるすべてのドキュメントファイルには最初からメールシートがついており、ファイルのプロパティを見るような感覚でこのメールシートを表示することができました。これに相手先のメールアドレスを記入して送信すれば、文書ファイルをすぐメールで送ることができました。簡単なコメントを添えることもできたので、日常のやり取りであればこれで充分でした。イメージとしては、すべてのドキュメントに宛先欄がついていて、宛先を書き込んでそのままポストに投函できるような感覚です。

考えてみれば、ファイルをネットワークでやりとりすることが標準なのであれば、最初からすべてのファイルに送信機能があるというのはごく自然な姿のように思えますが、このようなUIはJ-Star以外のシステムでは見たことがありません。

デスクトップアイコン

J-Starのデスクトップには、ゴミ箱アイコンはもちろん、受信箱、送信箱、プリンターのアイコンを置くことができました。そして、ドキュメントファイルを送信箱やプリンターのアイコン上に重ねると、そのファイルをメールで送信したり印刷したりすることができました。

また、自分宛のメールが届くと受信箱の中に格納されるのですが、その際受信箱のアイコンが点滅するのですぐに気づくことができました。

実はデスクトップに送受信箱やプリンターアイコンを置いて、ファイルのドラッグ&ドロップで機能させるというアイデアもAppleが1990年代に一時期採用していたことがあるのですが、やはり定着しませんでした。

ドラッグ&ドロップ

J-Starのドラッグ&ドロップは、今の感覚で見ると徹底しておらず、使える場面と使えない場面がありました。正確にはおぼえていませんが、ファイルを別のフォルダーに移動させるときはドラッグ&ドロップが使えなかったように思います。一方で、ウインドウのサイズ変更はドラッグ&ドロップできたような記憶があります。

たとえばファイルを移動させるときは、ドラッグ&ドロップの代わりに、キーボードの「移動」キーを使います。移動したいファイルを選択→「移動」キーを押す→移動先をクリックという手順で操作します。キーボードには「移動」のほか「転記(コピー)」「プロパティ」といったよく使う機能がキーとして用意されていました。専用のキーボードが必要になってしまいますが、J-Starでは、ファイル管理でもドキュメントの編集でも頻繁に使う機能なので、慣れるとかなり効率的に操作できました。

テキストはドラッグして選択することはできず、選択開始ポイントでマウスの左クリック、選択終了ポイントで右クリックします。J-Starには、四角形や円などを描くドロー機能もあったのですが、このような図形の大きさを調節するときなどはドラッグ&ドロップが使えたような気もするのですが、記憶が定かではありません。いずれにしろ、ドラッグ&ドロップが使える場面はかなり限定的でした。

なお、YouTubeでStarのGUIがどのようなものか垣間見える動画を見つけたので、いくつかご紹介しておきます。

Altoを目撃

XEROX_Alto

私が在籍していた当時、川崎にソフトウェア系の開発拠点があり、入社2、3年目ぐらいだったか、初めてそこに行く機会がありました。そして、そこのロビーにAltoが展示してあるのを発見しました。残念ながらガラスケースに入っており、動作はしませんでしたが、それまで限られた写真でしか見たことがなかったAltoの実物を目の当たりにして本当に感動しました。写真では見ることができない本体背面のスイッチなどをわざわざ確認してみたりしました。

J-Starの社内ネットワークには、同じ興味や関心を持つ人同士が情報交換できるコミュニティ機能があり、PARCやAltoに関心を持っている人たちが集まるコミュニティがありました。あるとき、川崎に展示してあるAltoが何かの展示会のために持ち出されたという情報が流れてきました。ケーブルやパイプがのたうちまわっているようなサイバーパンクなデコレーションの一部としてAltoを使ったとかで、Altoの価値をわかっていないとコミュニティの中で怒りの声が上がったのをよく覚えています。社内でも、Altoを知っている人、その意義をわかっている人は多くないようでした。

現在川崎の拠点はなくなってしまいましたが、富士ゼロックス横浜みなとみらい事業所のロビーには今も(2020年8月時点)Altoが展示されています。

そして、社内には実際にAltoを触ったことがあるという人もいました。かつて川崎は数台のAltoがあり、実際に業務に使われていたのだそうです。うらやましい限りです。

YouTubeで探すと、AltoのGUIがうかがい知れる動画が見つかりますので、いくつかご紹介します。

その後のPARC

PARCがAltoを開発していたのは1970年代ですが、私が富士ゼロックスに在籍していた1990年前後にも、重要なコンピューターのあり方を提唱し、その研究を行っていました。それが「ユビキタスコンピューティング」です。これは至る所にコンピューターが溶け込むように存在し、結果的に人はコンピューターの存在を意識することなくいつでもどこからでも情報にアクセスできる環境のことです。

PARCでは、ユビキタスコンピューティングの具体例として、掌サイズのPARCTabと呼ばれる情報デバイス、PARCPadと呼ばれるタブレット端末、LiveBoardと呼ばれる電子ホワイトボードを開発していました。PARCTabは外出時や移動中、PARCPadは自分の机から情報にアクセスするツールで、LiveBoardはリモート会議で遠隔地にいる人同士がコミュニケーションをとりながら、必要に応じてネットワーク上の情報にアクセスするという使い方を想定したものだと思われます。これらサイズの異なる情報デバイスを使えば、いつでもどこからでも情報にアクセスできるユビキタスコンピューティング環境が構築できるというわけです。

LiveBoardは日本でも市販され、デザイン部門にも1台導入されました。一度デモンストレーションを見学したことがあります。今ではビデオ会議システムのごく標準的な機能ですが、同じ画面を共有し、リモートでやりとりをしている双方からペンで書き込みができる機能を見てワクワクしたものです。ですが、なぜか市販されたのはLiveBoardのみで、単に「インタラクティブ・ミーティング・システム」という扱いだったので、ユビキタスコンピューティングとは少し意味合いが違うものとなっていました。

「ユビキタスコンピューティング」という言葉はある時期流行語のようにもてはやされていましたが、今ではあまり聞かれなくなりました。ですが、その後の登場した「クラウド」や「ウェアラブルコンピューター」や「IoT」も、どこにでもコンピューターが溶け込んでいて、いつでも情報にアクセスできるという「ユビキタスコンピューティング」の考え方と完全に合致しています。言い換えれば、この概念は極めて重要なコンピューターの進むべき方向を示していたと言えるでしょう。そしてこのビジョンが当たり前となった今日、「ユビキタスコンピューティング」という言葉も、この言葉が指す意味と同じように溶け込んで意識できなくなってしまったのかもしれません。

さらに最近のPARCはエスノグラフィー手法を使った調査、研究なども行っていると聞きます。時代ごとにテーマは変わっても、テクノロジーを人間のためにどう活かすかという観点は一貫しており、その中で常にUIやUXに関わる活動が行われているようです。

PARCに行ってみた

PARCの看板

富士ゼロックスを退社してからずいぶん経った2011年、たまたま仕事でアメリカのサンノゼに行く機会があり、現地に住んでいた知り合いに案内してもらってシリコンバレーの有名IT企業巡りをしました。そのとき初めてPARCを訪れました。基本的に建物を外から見ただけですが、とても感慨深い気持ちになりました。

PARC正面入り口

PARC斜面の下側から撮影

PARCの建物は、それまで写真で見ても全貌がわからなかったのですが、実際に現地に行ってもやはりよくわかりませんでした。というのは、真っ直ぐなビルが一棟建っているわけではなく、丘の斜面に建物が貼り付いているような構造なのです。そのため、どこから見ても建物の一部しか見えません。正面入り口はおそらく最上階にあり、そこだけ見ると平屋建てのようですが、実際には入り口のフロアから斜面に沿って下に降りていくと何フロアかあるのだと思います。横の広がりも見渡せないので研究所全体の規模感はわかりませんが、個人的には思ったより大きいようだと感じました。

建物自体もメタリックでギラギラした未来的なものではなく、どちらかというと地味で自然の景色や地形との親和性を重視している印象で、ここで時代の最先端の研究が行われていたというのが意外な気がしました。

書籍の紹介

書籍『未来を作った人々 ゼロックス・パロアルト研究所とコンピュータエイジの黎明』と『アラン・ケイ』

PARCの創設から1980年代前半ぐらいまでの様子とそこに関わっていた人々については、『未来を作った人々 ゼロックス・パロアルト研究所とコンピュータエイジの黎明』という書籍に詳しく書かれています。Altoに限らず、今日のコンピューターやインターネットにつながる様々な技術がPARCで研究開発されていたことがわかります。ずっと気になっていた当時のPARCの様子がよくわかり、ワクワクさせられる本でした。ただ、若干PARCを持ち上げ過ぎのようにも思います。ごく短期間PARCに出入りしていて、後に実績をあげた人たちも、あたかもPARCのおかげで成功したかのように書かれている印象でした。

Altoを作った人物として知られるアラン・ケイについては『アラン・ケイ』という書籍があります。

その他、ネットを検索すると様々な情報が見つかるので、ご興味のある方は調べてみてください。YouTubeの動画は、当時のGUIを知るための重要は資料として参考になると思います。動画だけでも残っていてくれてありがたいのですが、UIを操作したときのユーザー体験を後世の人に伝えるためには、できることなら動作する実機を保存することが望ましいと思います。UIという技術遺産をどのように残していくのか?これはUI/UXデザイン全体の大きな課題と言えるでしょう。

不定期連載中

シリーズ全編はこちらから
UXという言葉が登場する以前に私が見たUXデザイン


Welcome to UX MILK

UX MILKはより良いサービスやプロダクトを作りたい人のためのメディアです。

このサイトについて