データドリブンデザインにおける6つの迷信

Pamela Pavliscak

Pamelaは人がどうテクノロジーと対峙するかということについて研究しています。彼女の著書はエスノグラフィー、データサイエンス、行動心理学と、広範囲に渡っています。 Fortune 500sや新規事業他を担当するデザイン調査会社、Change Sciencesの創始者で、オンラインで議論したり、複雑なデータを解析している時以外は、あらゆる形やサイズのデータを用いたエクスペリエンス向上についての執筆や公演に勤しんでいます。

この記事はUX Magazineからの翻訳転載です。配信元または著者の許可を得て配信しています。

Six Myths about Data-Driven Design

データドリブンデザインという言葉が流行っていますが、その本当の意味について、私達は理解しているでしょうか? データへのアクセスが不十分なチームにとっては、なにを持ってデータとするかという定義さえ難しく、各々の理解も不十分で、それを共有するための言葉すらありません。

どんなサイトやアプリケーションでも、分析、A/Bテスト、アンケート調査、インターセプト調査、ベンチマークテスト、ユーザビリティテスト、エスノグラフィー調査、インタビュー等が当たり前のように行われています。では、(それらテストや調査結果の中の)一体何をデータとして用いればいいのでしょう? 更に重要な疑問として、実際にデザインを決める際のインプットとすべきデータは何なのでしょう?

データドリブンデザインが何を意味するかということを理解するために、まずは何がデータドリブンデザインではないかというところから始めてみましょう。そうすれば、データが実際にはどのようにUXを向上させるかということが見えてくるはずです。

迷信その1:データとは数字のことである

サイトやアプリケーションに関するデータはアナリティクスによって集計されます。アナリティクスでは、サイトを訪れた人の数、どのようにたどり着いたか、どのくらいの時間滞在したのか、どこをクリックしたか、などが集計できます。また、何人がAをクリックして何人がBをクリックしたかも集計できますし、それからインターセプト調査やアンケート調査の有効回答数、これもまた集計です。

数字は複雑な生活を送っている人間の代表的行動を表現します。が、何百万人もの人の行動パターンを一つの数字にまとめるということは、必ずしも有益性や信頼性を意味するとは言えません。どんなによくまとめられた集計結果であっても、私達が抱えるユーザー体験の疑問に答えてくれないことが多いのです。

たとえば、なぜユーザーがその行動に至ったのか、至らなかったのか、どう感じたのか、経験から何を期待しているのか。インタビューやエスノグラフィー調査、ユーザビリティ・テストは数値データのギャップを埋めてくれますが、そういった定性的なインサイトというのは数値ではないため、データとして扱われないことが多いのです。

他の分野、例えば社会学や薬学では、定性的なものもデータであるという見解で一致しています。スモールデータもしくは詳細データは、文章の形か、数値化されているかに関わらず、データとしてカウントされます。このことは、データによる情報を基にしたデザインでも同じことが言えます。

デザイン決定に活用されるべきデータの性質は、ソースが何であれ、人々が残した痕跡かどうか、ということなのです。

迷信その2:データとは客観的事実である

定量的データは既に完了したアクションを集計したものであり、そうした集計結果というのは、人間ではなくソフトウェアがまとめたものです。そのため、定量的データというものは、さも動かしようのない事実であるかのような錯覚を与えます。

データが大きいからといって客観的であるという意味ではありません。どんなデータセットにもバイアス(偏見)が存在します。数字自体は機械が扱っていようと、データセットは人間が作ったものであり、人間がそれを解釈して意味を付与するのです。

信号バイアス、もしくは、取捨選択や重要度におけるバイアスというのは、よくあるバイアスの一つで、特にビッグデータに顕著です。たとえば、ソーシャルメディアのデータは集団の一断片、つまりTwitterやFacebookで、あるハッシュタグを使っている該当者のみ、に過ぎないのです。同じように、研究用に観察されたり参加したりすることに同意した小集団の人達というのは、全体集団のほんの一握りに過ぎません。

観測行為によって引き起こされる揺動について説明したハイゼンベルグの不確定性原理のような別のバイアスもあります。研究室でのユーザビリティテストでは、どれだけ環境や担当者の態度などを中立にしようと、観察が加わることで行動パターンが異なってしまいます。コンテキストを重視した、あるいはエスノグラフィー的な調査であっても、ユーザーに全てを完全に委ねたという研究はほとんどありません。これは量的研究でも同じことが言えます。たとえばアンケートやインターセプトのような、単純に質問することでユーザーのエクスペリエンスを枠にはめる形をとってもです。

さらに、人間との接触がないオンライン調査と、担当者や別のユーザーとのやりとりがある対面調査を比較しても、他の誰かの存在があるだけで、サイトやアプリケーションの認識に相当なプラスの効果があることがわかっています。これは、何を言うか、どう評価するか、そして何をして何を試みるかといったことにまで関わってきます。

大小問わず、完璧なデータはありません。どんなタイプのデータにも限界があり、バイアスがかかります。良いデータというのは、存在するバイアスを明らかにし、そのコンテキストを必ず提示してくれるものです。

迷信その3:多いことはいいことだ

昨今の「ビッグデータ」熱は、人間性の秘密を全て暴き、正確に未来予測するだけの力があるとでも言っているかのようです。もちろんデータであるからには、多いほど良いということもあるでしょう。たとえば、なにかの感想を自己申告するような、主観的なことを測定しようとするときは、回答数が多ければ多いほどその結果に対して自信が持てます。

私達は大きさというと、つい数字のことを考えがちです。つまり、ビッグデータ方程式でいうところの量(ボリューム)とスピード(ヴェロシティ)です。しかし、ビッグデータとは多様性(バラエティ)のことでもあり、それはつまり多種多様なソースということです。

ユーザビリティテストが、あり得る行動パターン全てを示すことは期待できないのと同じように、アナリティクスが、ユーザーの行動について必要な情報を全て教えてくれると期待することはできないのです。すべてのデータが統合・集計されているわけではないという前提で、私達はデータをうまくまとめなければならないのです。言い換えれば、意味のあるカテゴリをつくり(メトリクスとも言いますが)、それを用いて、評価し、理解し、追跡するということなのです。

複数のソースから得たデータは、意味を持った新しい概念を指示し、最終的には行動を促してくれますす。より大きいこと、多いことではなく、より幅広いことこそがいいのです。

迷信その4:データはマネージャーのためのものだ

データはよくサイトやアプリケーションの評価をするために使われます(「データによると、最新のデザイン変更後からコンバージョンが下がった」など)。もちろん、こういう評価はデザイナーに対する、さまざまな攻撃の材料にもなります。確かに、内部の意見対立を解決したり、直感的なアプローチに対抗するものとして、または単に投資の見返りを証明するものとして、決定の正しさを証明するデータを求めたくなるのも無理はありません。(誰かの言い分を証明するというのは、データの役割のほんの一部でしかないのですが)。

データをデザインに活用するためには、実証、改善、そして発見という3つの使い方があります。改善のためのデータ活用とは、データに基づいた繰り返しに相当するものを意味することが多いでしょう。時間毎、バージョン毎の、はたまた競争相手に対しての(継続的な)追跡です。発見のためのデータ活用とは、他のデータ(大量データでも詳細データでも)と関連付けてデータを見て、パターンや傾向を探ることです。

こういった場合の問題の一つとして、データ活用がサイロ化している(横つながりがない)というのがあげられます。ビジネスのトップが活用しているデータと、UXチームが活用しようとしているデータが異なるということです。各チームがそれぞれ異なる参照枠(権限)を持っていたりするため、他のデータに気づかないか、または単に考慮していないということが起こりうるのです。

データは、誰が正しくて誰が間違っているかということを証明するものではなく、向上と新しい可能性を生み出すためのものです。人間がテクノロジーを活用しているという証明をする、別の方法なのです。

迷信その5:データはイノベーションを殺す

データは、イノベーションの敵と見なされることも多いようです。以下の3つが代表的な例でしょう。

1. データの多くは、アナリティクスであろうと、あるいはアンケートのデータやカスタマーサービスのデータであろうと、過去のものである。(その発見の中から)パターンや傾向を見出すことができますが、それを基にして(未来を)予測することは困難だ。

2.  データは戦略というより、戦術である。グーグルの41種の青色テストの例を考えてみればいい。データに基づいたデザインというのはA/Bテストと関連が深いため、デザイン要素を修正するのには適しているが、素晴らしい画期的なユーザー体験を創造するにはすぐれた手段とはいえない。

3. データ、特にアナリティクスは、きわめて表層的である。人が何をクリックしたのか、どのくらいスクロールしたのか、またはどこに長居していたかということを見ることは、プロダクトのマーケティング方法についてのイメージを作るのには向いているが、動機や期待、認識や感情といった情報に欠けているため、デザイン決定には向いていない。

なるほど、こういった見解全てに何らかの真実と言えるものもあります。問題の核心は、データそのものにあるのではなく、データがどう使われるかというところにあるのです。

データをデザインに活用するためには、どんなデータであっても、その複雑さを受け入れ、活用されなければなりません。ユーザー体験はファネルではないのです。

迷信その6:デザイン開発に適したデータ活用法がある(はずだ。きっと)

今のところ、どんな組織のどんなチームでも必ずうまくいく標準的な方法といったものはありません。スタート用ガイドラインというものならいくつかあります。

  • 多様なソースからのデータを用いてデザインに活かすこと。A/Bテスト、ソーシャルメディアの意見、カスタマーサービスのログ、セールスデータ、アンケート、インタビュー、ユーザビリティテスト、コンテキストのあるリサーチ、その他調査など
  • 数字とコンテキストを含めること。定量的と定性的、調査と非調査、ビッグデータと詳細データ、いずれの呼び方であれ、本当の話を語るには、数字とコンテキストの両方が必要です。
  • データが人間の経験の複雑性に敏感であるということを確認すること。慎重に平均を使い、注意して推測し、自由に補強しましょう。
  • 時間をかけて変化を追跡することにデータを使い、新しいパターンを探り、誰が正しくて誰が間違っているかを証明するよりもむしろ、問題を深く掘り下げること。
  • データが意味をなすように、そしてエクスペリエンスについての話が見えるように、意味のあるカテゴリを設定すること。
  • 組織内で、データをシェアし、話し合う方法を開拓し、皆で一緒に基本を明確にすることから始めること。

データを活用してのデザインは、アルゴリズムや自動化、A/Bテスト、アナリティクスなどの先へいかなければなりません。むしろ、そのゴールはこれらのデータを用いて日々の人々の経験への理解を深めることなのです。


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