ノルウェーでのデザインシンキング調査で直面した文化的な壁

Kayla Block

Kayla Block氏はUXデザインに15年以上たずさわり、複雑な企業アプリケーションを簡単で効率的な使って楽しいものに変えることに貢献してきました。デザインシンキング、調査研究、ユーザーテストなどすぐれたデザインのための調査に造詣の深い専門家です。

この記事はBoxes And Arrowsからの翻訳転載です。配信元または著者の許可を得て配信しています。

No! We’re Not All Just the Same – Cultural Road Blocks in Design Thinking Research in Norway

2018年の5月と11月にユーザー調査をするためにノルウェーへ旅立ちました。私はノルウェーの文化に深く関わった経験がなく、この記事はよそ者としての私の見解と解釈です。これがすべてではないと思います。

スカンジナビアの友人と話したり文化的規範を調査して、今回の驚くべき発見を理解しようとかなり努力しました。しかし、よそ者が本当に理解できることには常に限界があります。

今でも、答えよりも疑問の方が多いです。

絶対に思い込み(assume)はいけません。思い込むとどうなるかご存知でしょう。あなたも私も笑い者になります、この文中にそう綴られていますから(=It makes an ass out of you and me)。

これはEllen DeGeneris氏の言葉ですが、私もこれまでの人生で聞いたことがあります。みなさんもきっとそうでしょう。

ノルウェーで開催したデザインシンキングセッションで話した思い込みについて、これからお話します。

今回赴いた調査はヘルプデスクのエージェントにまつわるものでした。ヘルプデスクの業務は現在KPIによって評価されます。たとえば何件のチケットを解決したか、どれだけ早く解決したか、といったことです。エージェント間の協業を拡大しようという業界のトレンドがありますが、これは顧客の問題をより迅速に解決するのに役立つからです。しかし、他のエージェントを手伝うのに時間がとられたり、複数のエージェントでひとつの問題に対応していると、企業がエージェントを評価するために使用する測定基準が下がってしまいます。

ですから、エージェントの働き方を変えるためには、その評価の仕方を変える必要があります。私は生成的調査(Generative Research)をするためにノルウェーでデザインシンキングセッションを3回おこないました。協業が増えると仕事はどのように評価されるかを見いだすためでした。

そこで私は国防契約会社、警察、情報技術会社の人々と会いました。

この3者との間で、私は思いがけない文化的問題に遭遇しました。その問題は、セッションそれ自体と私の調査結果の両方に重大な影響を及ぼしました。

既存の枠にとらわれずに考えたり大胆なアイデアを思いつくようにお願いすることが、ノルウェーの2つの文化的規範「selvbeherskelse(自制心)」と「janteloven(ヤンテの掟)」に抵触したのです。

どういうことか説明しましょう。

多くの人がノルウェー人の心を「解凍する」のは難しいと教えてくれました。デザインシンキングセッションでは、奇妙なアイデアでも自由に考え出してクリエイティブになってもらう必要があります。ノルウェーでは「selvbeherskelse」すなわち「自制心」が高く評価されているのですが、その安全地帯から足を踏み出すように私はお願いし続けていたわけです。それをなんとかするにはセッションに酒を持ち込むしかない、と知人たちは冗談で言っていました。

文化的な減速ロードハンプの2つめが「janteloven」です。この「janteloven」はセッション自体に影響を及ぼしただけではなく、仕事の評価と判断についての私の考え方は、すべて私自身の文化的な見解によるものだということも教えてくれました。

ノルウェー人は目立ったり、誰かひとりを選んだりしないように教えられています。年次業務評価で全員が等しく「申し分なし」と言われているところを想像してみてください。

スーパースターはいません。期待に応えられていない人もいません。全員がまずまずの評価です。また、うまくいった自分の仕事に目を向けてもらおうとすることも文化的に受け入れられません。

ノルウェー人はこれを「janteloven」または「ヤンテの掟」と呼びます。「ヤンテの掟」とは北欧諸国で知られている行動規範であり、常軌を逸していること、個人的な野心を抱くこと、同調しないことなどを卑しむべき不適切なことであるとしています。

この掟は元々Aksel Sandemose氏の風刺小説A Fugitive Crosses His Tracks』の中で作られたもので、要約すれば「自分のことを、特別な存在であり、他の人より優れていると考えてはならない」というものです。

出世しようとしたり他の人よりも良く見られようとしていることが明らかな労働者は社会的規範に抵触しているのです。誰かが誰かよりも優れていると認めることはめったにありません。結果的に、解雇というものはスカンジナビアの企業にはほとんどありません。そして、年次業務評価もアメリカ合衆国で行われるようなものではありません。

また、この文化的規範はセッションにも影響を及ぼしました。セッションの中で目立つようなアイデアを誰も出そうとしませんでした。しかし、もっと重要なことに、私の訪問に対する前提自体に疑問が投げかけられたのです。

思い出してください。私は仕事が将来どのように評価される可能性があるかを見出すためにノルウェーにいました。

しかし、誰もが皆申し分ない、という文化の中にいるのです。

不思議なことに、この文化的規範にもかかわらず、参加者はスーパースターになりたがったり、成績不振の同僚が呼び出されるのを求めていました。自分たちが懸命に働いていながら、「怠けている」同僚よりも報酬が多くないのはフェアでないと感じていたのです。

彼らが切望しているのは、貢献しなければならないと人々に感じさせる社会的な圧力です。同僚が手抜きをすると仕事のやり直しが生じます。知識が再利用可能な形で残されていないために同じ問題を繰り返し解くはめになることは、部屋にいた全員をイライラさせていました。自分の職務を十分に果たさない同僚に対する独創的な罰や社会的な辱めを夢想している人もいました。

さらに、個人的に訊くと次々に口にするのは、他の人たちは「特別なスーパーヒーロー」になりたがっているので協働したがらない、というものでした。(もちろん、ワークショップの誰もそれが自分であるとは認めませんでした。)

同調への圧力はありますが、やはり感情的には、他の人より優秀でありたい、仕事で認められたいと思っています。また彼らは、手抜きをしたり簡単な仕事だけを選んで難しい仕事は他人まかせの者が同僚の中に何人かいることを知っています。

ひとりのUXデザイナーとして、私自身の文化によって視界が遮られて、自分の関わったソフトウェアに対する人々のニーズやウォンツについて限られた考え方しかできていなかったことを目の当たりにすることは屈辱的なことでした。もう一度すべてやり直せるなら、心の「解凍」についての警告にもっと注意を払うでしょう! そして単一文化による発見がすべてを物語っているなどとはもう2度と考えません。

米国に戻ると、多くの時間を費やして体験したことを整理し、どうすれば別のやり方ができるかを考えました。即興劇集団に関わっている友人と、このことについてたまたま話をしたことがあります。「即興劇」とは芝居のひとつの形で、プロットと役者同士がどうやりとりするかは、その時々の瞬間に作られます。良い即興劇をするには、くつろぎながらも安全地帯の外へ出る必要があります。私の体験は彼女には身近に感じられるもので、即興劇のウォームアップ手法について教えてくれました。

お酒を持ち込むことはできませんが、次回は参加者をウォームアップするためのテクニックを即興劇の手法から拾い出し、ウォームアップ運動を携えて行きます。ノルウェー人の「凍りついた」心をその手法によって引き出せればいいのですが。

私たちの調査の一部であった、仕事が将来どのように評価されるべきか、については発見はありませんでした。しかし、期待した調査結果が得られなかった場合は、これまで知ることすらなかった問題の解決策を新たに作るチャンスとなります。そもそも、それが現場に出向く理由ではありませんか?


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