よりよいデザインのためには職場環境のリデザインを

Rachel Grossman

RachelはUXリサーチャーであり、インフォメーションアーキテクト。

この記事はBoxes & Arrowsからの翻訳転載です。配信元または著者の許可を得て配信しています。

Biased by Design Understanding power in the workplace

1990年代の半ば、パーソナルコンピュータがブームになっていたあの頃、私はSkip-Itで遊ぶごく普通の子どもでした。夏のカリフォルニアの太陽の下、いつも1,000回達成を目指して 100回、208回、300回、986回と数えて遊んでいました。

両親が夜遅くまで仕事をしている間、私は両親の会社Design Mattersのすぐ側の歩道で遊んでいました。Design Mattersと言うといまなら同名のポッドキャストが有名ですが、それよりも以前、サンフランシスコのベイエリアでもっとも初期に設立されたデザイン制作会社の1つであるDesign Mattersが、私にとってのデザインの原体験となっています。私の両親は、当時可能性に満ちあふれていた .comブームの波に乗った初期のWebデザイナーだったのです。

子どもだった私の見方なので牧歌的に聞こえてしまうかも知れませんが、私の両親は、つねに緊張感にさられながら、いくつもの困難を乗り越えなければなりませんでした。最終的には彼らは成功したのですが、そこにたどり着くまで、確実と言えることはなにもなく、決して簡単な道ではありませんでした。当時はまったくの新しい分野で決まったやり方も確立されていなかったので、試行錯誤しながら作ったつぎはぎのチームはつねに多くの問題を生み、その対応に翻弄される両親の聞くに耐えないような会話を耳にしたのも1度や2度ではありませんでした。

2人はお互いを補完しながら、最高のチームをつくり上げ、会社の財務状況も安定させ、3Com社のサイトから CDCのサイトに至るまで、数多くのサイトの体験の向上に彼らは一緒に取り組んでいきました。

当時、私は「ガラスの天井*」というものが何かをしりませんでしたし、もし仮に知っていたとしても、そんなものは粉々に砕け散っていると思ったことでしょう。こうした両親の個人的な関係や仕事上の関係を見てきた結果、私は自分の貢献がどこにいても正しく取り扱われ、正しく評価してもらえるだろうと信じるようになりました。私は、自分が世界を変えられる、そして変えていこうという自信を持つように育てられたのです。

*ガラスの天井:資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁(wikipediaより抜粋

ガラスの天井の存在

ガラスの天井は確かに存在します。今、デザイナーがどのような存在かということをお話する前に、昨今の労働環境において女性がどのような存在であるかについて見てみましょう。

我々の社会が前進してきていることは間違いありません。ほんの1世代前まで、女性は労働力の29%に過ぎず、男性が71%を占めていました。2015年までにこの割合は男性53.2%に対して女性46.8%とほぼ同等にまでなっています。この男女間のギャップは第2次世界大戦以降着実に縮まってきており、女性の躍進は必ずしも経済的な必要性によるというわけではないようです。

しかしながらいま現在も平等とは程遠い状況です。労働力に占める男性と女性の割合だけの単純な問題ではないのです。さまざまな業界において女性は男性と比べて明らかに意思決定に関わる地位に就くことができていません。そればかりか、高度なスキルが要求されて高い報酬が得られるような仕事は多くが男性によって占められ、女性はあまりスキルが必要とされない仕事に従事しています。企画や意思決定に参画する人々の性別の偏りが、多くの事柄の決定に影響を与え、女性は声を上げようにもその意見が反映されづらい弱い位置に追いやられているのです。

ではユーザー体験についてはどうでしょうか。初期においては、デザイナーは何年もの経験に裏打ちされた多様かつ高度に専門的な技能を持って働いていました。コンピューター時代の興奮は、多様なバックグラウンドの人々を呼び集め、エンジニアとソーシャルサイエンティストにまったく新しい素晴らしい世界を提供しました。

Ellen Ullman氏は著書『Life in Code: A Personal History of Technology』の中でこの時代の精神をよく描き出しています。

当時駆け出しだった私は、コンピューターを使っていろいろとやってみたが、ことごとく思い通りに動かすことができなかった。しかしそこには簡単にできるという価値とは異なる、まったく別の価値があった。それは抗いがたいほど魅力的だった。

初期のデザイナーとプログラマーは、忍耐と情熱のその両方を持って新しいテクノロジーに向き合い、どのように働くのか、そして現実の世界にどのように適用できるのかを解明しようとしました。彼らは長い時間をかけて関係をつくり上げ、ビジネスとデザインが可能な限り対等な協力関係を維持できるようなエコシステムをつくるために尽力しました。

今日(こんにち)、デザインは私の子どもの頃に思っていたものとはかなり違ったものになっているように思います。

根底にある問題を探る

テック業界から金融業界に至るまで大企業はデザインの価値を認めています。世界中で自前のUXチームが立ち上がっており、私たちの業界の創始者たちの多くが、デザインを利益と結び付けることに潜む危険性を正しく指摘しています。企業は測定が容易な指標だけ(デザイナーが知っているプログラムの数や、モックアップ作成の速さ、デザインのピクセルレベルの精密さ、など)をROIとして評価することによってユーザー体験の価値を計測しようとしています。

では、信頼やコミュニケーション、関係性、ビジョンの共有、共同作業など、デザインが成功するための土台となるさまざまな形の無いものはどう評価されるのでしょうか。

その性質上、形の無いものは測ることが難しいものです。どこでコミュニケーションがうまくいかなくなるのか、それはなぜなのかを理解することは簡単ではありません。

誰の声がデザインに取り入れられるのか、どの程度取り入れられるのかを知ることは困難ですし、誰が戦略決定に関わっており、選択された戦略がどのようにうまく結果に結び付く(あるいは結び付かない)のかを知ることも困難です。なぜなら、私たちがコミュニケーションを取り、協業し、考える方法は決まった形式があるわけではなく、個人の思い込みの影響を受けやすいために、客観的に定量化することが非常に難しく、またときにはまったく解読することすらできないからです。

なにが言いたいかと言うと、現代は危なっかしいシステム思考に首を突っ込むことはなくなってきているということです。第2世代のデザインの性質上、批判的なまなざしは称賛されるどころか糾弾されてしまいます。

利益追求に偏重する企業においては、マネージャーは、デザインの価値を明らかにし、証明するという曖昧な役割を負わされています。クリック数やPV数はすぐに上下する変化を示す指標であり、それらが上昇することがすなわち投資の効果となります。こうした指標は私たちが価値を示すために頻繁に使うものですが、しかしこれらの指標は、ユーザーがどのようにプロダクトを使っているのか、どうようにプロダクトが市場あるいは私たちの生活にフィットしているのかに関するさまざまな理由や今後の方針を示してはくれませんし、そういう性質のものでもありません。

プロダクトがどう働くのかを明らかにし、理解し、進歩させていくためには、こうした大きな視点での疑問に答えられる必要があり、そのゆえデザインには本質的に批判的なまなざしが必要なのです。私たちがデザインを求められるときに実際に行っていることは、ビジネスを深く掘り下げることに他なりません。

企業が自前のデザインチームを持っている場合、デザイナーは自分たちのビジネスのやり方を変えるという困難な戦いに直面します。既存のプロジェクトに対して「デザイン」という言葉が曖昧なまま場当たり的に後付けされるため、構築済みの利益指向・機能指向のプロセスを後から遡って変更するという厳しい仕事がデザイナーに課されます。これはまるで全速力で走行している列車に飛び乗って、車掌に車両の順番を考え直すようにもちかけるようなものです。

デザイナーはシステムを一新するために雇われるものですが、実際には誰もそんなことは望んでいないのです。少なくとも、女性によって一新されることを望んではいません。

私たちは、この現実が女性にとってどれほど厳しいものであるか問いかけなければなりません。私たちが生きているこの世界では、女性の貢献は(ある程度までは)受け入れられます。言い換えるとミドルマネジメントのレベルまでは受け入れられますが、トップマネジメントに受け入れられることはほとんどありません。こうした文脈の中で、そして計測可能な証拠を見せることがしばしば難しい状況の中、どうやって女性デザイナーはこの困難な戦いを戦い抜けばよいのでしょうか。

再構築に向けて

私たちの業界は、いまこそ立ち戻って自分たちの立場を見極め、デザインにおける女性の役割を理解するときです。いまこそ制度化された力の不均衡が現場にもたらす悪影響に目を向けるときです。

私は、アジャイルやリーンUX やデザイン思考といったことよりも、まず、自分たちの役割とプロセスとを組織の中に位置づけることから始めることを提案します。私たちがデザインするものと同じように、デザインする方法自体にも目を向けるべきです。そのためには、すべての面倒な人間の感情を認識し、これと向き合い、自分たちの振る舞いを精査し、私たち自身の偏った思い込みを理解しようと努めなければなりません。

仕事における関係性と、いまだに一部の人を不公平に扱う文化が持つ社会的規範について掘り下げてみましょう。関係と信頼を構築し、理解を共有し、オープンにコミュニケーションを取ることはすべて、よいデザインのために必要なことであり、インクルーシブデザインのために不可欠なことです。

自分たちのチームに担当するプロセスを位置づけるには、私たち自身のごく個人的な痛点を見つけ出す必要があります。そして私たちが感情の上で思うことに対してオープンに、正直になる必要があります。こうした相互の繋がりがシステムが機能するために必要不可欠であり、こうした繫がりもまたチームに位置づけられます。

私たちはデザイナーですから、私たちの力は機能やプロジェクトをかき混ぜるためだけでなく、特定の誰かに他人に対する偏った意見や要求を持たせてしまう権力構造を変える機会にも活かせるのです。自分たちの問題をマッピングすることは、つねにデザインにおけるユーザーを意識しているとは限らない業界における構造的な(時にはあからさまな)女性蔑視を理解し、これと戦う助けとなるよいきっかけとなるかもしれません。

「デザインにおける女性の役割」として、自分たちの意見をつくり上げるということ以上に、私たちの意見がきちんと届くような状況に変えていくということが重要なのだと考えています。私たちのツールは私たちのものです。困難な会話を進める方法、理解のギャップを小さくする方法、ありのままを語る余地をつくり出す方法を、私たちは共に学んでいるのです。


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