デザイン教育の重要性

JORDAN DEVOS

Jordanは、ブランド戦略やサービスデザイン、UXなど多岐にわたる専門知識をもちながら、組織と協力して、チームの強化と革新を援助しています。

この記事はToptalからの翻訳転載です。配信元または著者の許可を得て配信しています。

The Importance of Design Education

デザインの教育が非難の的になっています。その価値と妥当性が問われていますが、実際、確かに疑わしいものです。デザイン業界は劇的な変化の中にありますが、大学はその変化を重要視していないようにみえます。しかし、デザイナーが普段しているように、視点を変えれば素晴らしいインサイトが明らかになるかもしれません。

教育に関する主張には情熱がこもっているものです。大学に対してよくある非難に応えることで、議論のもう一つの側面を探りましょう。今回はデザインブログの編集者Micah Bowers氏の記事を基にします。

授業料は確かに高いですが、実際どのようにROIを定量化すべきでしょうか? ソフトスキルは重要な論点ですが、身につける最適な方法は何でしょうか? そして、実際の業務に必要な要件はカリキュラムの最前線で習うものとは異なりますが、それはそこまで悪いことなのでしょうか?

デザイン教育の重要性を就職準備という観点から見るのではなく、学位を得ることで、どのようにイノベーションや影響力、向上心といった基礎を形成しやすくなるのか考えていきます。教育の役割は、素晴らしいものをつくり出すための種をまくことです。

議論をすすめるにあたって

「デザイン教育」という言葉には多くの意味が含まれますが、この記事では学士号を取得する教育に限定します。「デザイン」という言葉はさらに曖昧ですが、グラフィックやコミュニケーション、UXデザインに広く関連するものを表すことにします。

明記すべきこととして、学位は必ずしも万能ではありませんし、誰もがデザインスクールで学べるわけでもありません。General AssemblySpringboardRed Academyのような教育機関や、Design BetterSkillshareといったオンラインサービス、一般的な大学など、デザインのキャリアを始める方法はたくさんあります。これ以外にも方法は数多くありますが、この記事ですべてに対応することはできません。

ニューヨークにあるパーソンズ美術大学The New Schoolの学生たち。

授業料には想像以上の価値がある

医大の場合、授業料の価値は明確です。医学試験に合格する準備として、学生に生物学的な事実と手順を教えます。学ぶ過程は直線的で、わかりやすいです。一方で、デザイン教育のコースを定義することは、雲をつかむようなものです。それぞれの教育機関には独自のアプローチがあり、デザイナーはそれぞれ異なる道を進むことになります。

異なる分野の教育プログラムの基準で、デザイン教育の価値を測ることはできません。授業料が適切かどうか判断するには、デザインを学ぶ学生たちが、教育の経験からなにを得るのか考慮する必要があります。得られるものは単なる知識やスキルだけではありません。生徒は、ほかでは簡単に見つけられない環境や状況にアクセスするために授業料を支払っているのです。

  • 各種リソースへのアクセス:学生は凸版印刷の施設、コンピュータープログラム、講演への参加、写真スタジオといったさまざまなリソースを無料で利用できます。学生ではない場合、これらのリソースを利用するには高額を支払う必要があるでしょう。
  • 専門家からの教育:学生向けに講演のゲストとして訪れたり、教授として教えたりするプロのデザイナーは、学生を優れたデザイナーに育てるために自発的に大学にいます。彼らと会えることは、業界に入りたてのデザイナーには与えられない、貴重なリソースです。
  • クリエイティブなコミュニティと同僚:学校が業界で友人をつくる唯一の場所だとは言いません。しかし、学習の過程で経験と成長を共有することで、長期的で豊かなつながりを築くことができます。
  • 現実世界の制限からの解放:デザイナーのマインドセットを形成する基礎が、制限から始まるべきではありません。デザインスクールには、クライアントの気まぐれによってアイデアを制限されたり、予算の問題で創造性が妨げられたりしない時間と空間があります。
  • 「学生」という肩書き:プロのデザイナーは、一般的に仲間のデザイナーよりも「学生」と知恵を提供し、共有したくなるものです。加えて、外部と触れる機会やコンテストは、つねに在籍している学生だけが得られる特権です。学生という肩書きと大学のメールアドレスは、特権にアクセスする際に重要になります。

デザインの教育で獲得するものは、仕事を得る許可ではありません。実際の空間で面と向かって行う共同作業です。 — PentagramのパートナーAbbott Miller

 

ロンドンのD&AD New Blood Academyには、卒業生の中から選ばれた人たちが集まっています。同校では在校生のためのデザイン教育を推進しています。

学習領域の貴重さ

Eduardo Briceño氏は、TED Talkで、専門家が最大限に力を発揮するまでに時間がかかりすぎることを嘆いています。彼は能力が発揮される状態をパフォーマンス領域と呼んでいて、すでに習得した能力に焦点が向かいます。パフォーマンス領域は、失敗が許されずつねに提供物にプレッシャーがかかる、いちかばちかの環境において発生します。

パフォーマンス領域がビジネスにとって効率的であるように、デザインの教育では授業料を支払うことで、学習領域というもう一つの有益な時間が得られます。学生は実験し、失敗し、自分の行動と働きを定義する時間と空間が与えられます。学習領域は、現実世界に蔓延しているノイズに縛られることなく学習できる貴重な機会です。

スタンフォード大学では、世界でもっとも貧しい人々のために、きわめて手頃なデザインのソリューションを考案して、プロトタイプを作成しています。同大学でのデザイン教育の重要性は、探求の場を提供することです。

率直に言えば、デザインの教育機関が提供しているものが、他に類をまったくみないわけではありません。Googleに触発されたイノベーションハブは20%ルールを導入していますし、世界的に有名なSagmeisters氏は創造性を活性化させるために1年間のサバティカルを取り入れています。しかし、ほとんどのデザイナーはクライアントが要求する締切と要件に縛られながらキャリアを開始するでしょう。正式な教育現場で得られる自由という贅沢は、かけがえのないものです。

過ちがどれだけ深刻で、困難で、謙虚に受け止めなければならないとしても、自分がどのような存在なのか教えてくれるのは、いつだって成功ではなく失敗です。— ピューリツァー賞を受賞したジャーナリストKathryn Schulz氏

改善のためには

学習の自由とそのための授業料を、同じ物差しで測ることは難しいでしょう。しかし、成長のために情熱を捧げられる環境を提供することで、大学は高いコストに見合う革新性と探求心を育てることができます。ただ、これらの教育機関は、このビジョンを支えるように施設を厳しく管理し、コースの構造を再検討しなければなりません。その上で、自身の目標を達成するためになにを学ぶ必要があるのかは、生徒の選択と需要次第です。

ソフトスキルの習得には授業計画より経験が大切

デザイン機関は学生を甘やかし、実世界に対して非現実的な期待を設定していると批判されることが多いです。このような主張に根拠がないわけではありません。卒業生のスキルが全体的にますます不足していることに注目している報告書もあります。批判的思考、共感できる知性、協力といった能力が優れた人材は、即戦力としてその能力を発揮できるでしょう。

では、これらのスキルに責任を負うべき人は誰でしょうか? 教授にすべてを押し付けるまえに、自分自身に目を向けてみてください。

セントラルセントマーチンズの学生たちは、アーティファクトの周りに集まって分析し、観察し、共同作業を行っています。

学校は実践のためのプラットフォームを提供する

ソフトスキルは性質上、性格や気質に関連しています。たとえば、ビッグファイブの性格特性のうち、誠実性は時間管理と、協調性は周囲と協力する能力に直接関連するでしょう。学生は、自分の個性に応じてソフトスキルを育てていきます。そのための機会とサポートが必要です。

したがって、デザイン教育の重要性は、学生がソフトスキルを実践するためのフレームワークを提供することにあります。デザインについての批評、学生のプレゼンテーション、チームプロジェクト、締切などはすべて、学生がスキルを向上させる機会です。誤った言葉遣い、衝突しやすい性格、繊細な自己愛といった問題が予測されますが、空間の安全は保たれています。大学は、開発の段階にあたる一連のフレームワークに対して責任を負っているからです。

しかし、最終的な責任はやはりそれぞれの学生にあります。ソフトスキルを身につけるには、継続的でパーソナライズされた学習と、モチベーションが必要です。デザインの教育機関は、それらの野心を掻き立てて育てる最高の場所とも言えるでしょう。

大学は生徒たちに共同で作業し、ソフトスキルを身につけるためのプラットフォームを提供します。デザイン教育は、ソフトスキルを実践するためのプラットフォームです。

改善のためには

学校での学習を省いて業界に飛び込んでも、ソフトスキルの短期集中コースを確実に受けられるとは限りません。一部の代理店では若いデザイナーに作品の発表を許可しておらず、社内のコミュニケーションが不足しているところもあります。大学にはソフトスキルを実践する確立されたプラットフォームがすでにありますが、その試みが強化されるべきなのは確かです。誠実なフィードバックセッション、1対1でのディスカッション、構造的な反省など、より多くのリソースを含める必要があります。

ただ、このアプローチは、生徒が課題の提出に主体的にコミットしなければ機能しません。ただ支援される時間ではなく、早い段階から始めた人間がもっとも学習できる人間だと実感している生徒にのみ機能するのです。なにをつくり出せるかは、なにを学んだかに依存します。

「実社会」のデザイン業務を教えることは学生の軽視につながる

近年では新卒のデザイナーに対して、入社後に教えるべきことが以前よりも増えていることから、人事の責任者は4年制大学の卒業証書をあまり信用しなくなってきています。大学の教育は実務的なノウハウが不足しているかもしれません。しかし、実社会への期待に基づいたデザインカリキュラムというのは、標準テストをこなすようなものです。

旧来的なデザインの役割という障壁を打ち破る

デザイナーの役割は、もはや補助的なものではなく、主導的になっています。このマインドセットは現在でも有効で、未来志向の企業でも肯定的に受け入れられています。

Airbnbは、業界全体に激震を与えた2人のデザイナーによって設立されました。Pepsicoの前CEOであるIndra Nooyi氏は、デザイン担当ディレクターと直接やり取りをして、ビジネスの意思決定を下しました。そしてマッキンゼーは、ビジネスにおけるデザインの価値を専門的に説明するレポートを発表しています。近い将来、デザインは以前の評価を思い出せないほど変化しているでしょう。

ビジネスにおけるデザインの価値をまとめたマッキンゼーの報告書は、クリエイティブな人材があらゆる組織をまたいで組み込まれる未来を示しました。

デザイナーの役割はますます多くなり、結果的に、分野に囚われなくなりつつあります。デザイナーは予期しない業界でも役割を果たし、グローバルなビジネスや社会に影響を与える厄介な問題を解決しています。

UXの生みの親であるDon Norman氏は、「現代社会の大規模で複雑な問題に対処するには、デザインの教育に技術や芸術、社会科学、法律、ビジネスといった複数の分野を含めるよう変更する必要がある。」と考えています。たとえ新しく集中的なUXの教育でも、領域を広げるべきでしょう。

また、Norman氏は「デザインはパソコンを操作することではなく、世界を操作することである。」と述べました。同じように、IDEOはT字型デザイナーという用語を生み出しました。T字型デザイナーとは、1つの分野で深い専門知識をもちながら、幅広い分野にわたって一般的な知識を身につけているデザイナーを指します。デザイナーが革新的な仕事をする際に学際的なアプローチが必要なら、学生の知識をデザインの原則と要素に限定する意味はありません。

世界的に有名なデザイン大学であるロンドンのロイヤルカレッジオブアートは、デザインという学問分野をはるかに超えたカリキュラムの再構築を打ち出しました。デザインを学ぶ学生は、環境建築やナノテクノロジーといったほかの分野の研究にも集中することになります。

世界はあまりに複雑で相互に結びついているため、デザイナーは多様な分野に精通していなければなりません。

ときには、教養学部の「ミクロ経済に基づく人類学」の授業が仕事と密接に関係することもあるでしょう。

ロボット工学とデザインに取り組むロイヤルカレッジオブアートの学生。UX教育は、RCAのロボット工学とデザインでさらにレベルアップしています。

学びかたを学ぶ価値

過去を参考にすれば、現代のコンピュータプログラムはすぐに時代遅れになり、使い慣れたデザインプロセスは再構築されるでしょう。企業やチームはその準備をする必要があります。

Harvard Business Reviewの以下のように指摘しています。

Google、Amazon、Microsoftなどの第一線で活躍する企業は、キャリアの可能性を示す重要な指標として、ラーナビリティ(学習意欲)、つまり好奇心とハングリー精神をもつことを重視しています。

要領が良く、批判的で、観察力のある学生に育てる未来の学校は、不朽の価値を提供しています。

この教育アプローチは、すでに世界中で行われています。ロンドンのキングスクロスアカデミーの小学生は、質問を投げかけ、個人やグループで答えをみつけることを通して学習しています。シリコンバレーで働く多くのテック企業のリーダーは、子どもたちをWaldorf School of the Peninsulaという学校に通わせています。そこでは以下のような教育アプローチをとっています。

編み物を通じて特定の数学の原理を教え、ゲームをする中で言葉を習得し、ストーリーテリングが学習の中心的な役割を果たしています。

あらゆる課題に適応する能力は、若い世代にすでに浸透しているのです。

改善のためには

「卒業生は専門的なデザインチームで働く準備が十分に整っている」と主張する大学には疑いの目を向けるべきです。企業やチームの運営方法はそれぞれ異なります。大学は、既存の構造に優先順位をつけることではなく、現状に挑戦し、業界を未来に導くことを教えるべきです。加えて、観察力、批判的思考力、創造的な問題解決の方法を学ぶ場を提供しなければなりません。

実戦で役立つスキルを身につけるにあたって、デザインスクールは時代遅れなのではなく、時代を超越しているのです。

まとめ

デザイン業界が苦境に立たされる中、デザインを教育する重要性はこれまで以上に高まっています。デザイン学校の卒業生たちは、デザイナーはなにができるのかという社会認識に影響します。

一部の革新的な企業は、大学には業界の制約に左右されない創造性の宝庫があることを認識しています。デザインを学ぶ学生は、経験が乏しく、打たれ弱いかもしれませんが、それらの性質は弱みではなく、強みであるとみなしています。

企業や組織は、未知の領域に惹かれて大学に目を向けるようになっています。Citi Venturesは、デザイン専門大学と提携して、「将来のリモートワークはどのようなものか」といった大きな問いを学生に投げかけています。ロンドンの地方自治体はセントラルセントマーチンズと提携して、さまざまな研究とユーザー中心デザインを利用して、資金の乏しい公共サービスを再考しています。

デザイン教育は崩壊していません。私たちは、教育機関に対する期待を少し変える必要があります。学生たちを現在のシステムにシームレスに導くのではなく、デザインの未来を形づくる優れた人材を育て上げるべきです。


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