ひと月前、1人の学生が私の事務所にやってきて、私のコンピューターのモニターを見て驚きました。そこには8列の目眩がするようなデータの列が並んでいて、それぞれに異なったツイッターのフィードが表示されていました。3つは個人的なもの、3つはコンサルタントの仕事に関するもの、2つは授業に関するものです。常時50〜60のツイートを同時に見ることができ、それらがほぼリアルタイムで更新されているわけです。彼は5分間、私の事務所でその賑やかなツイートのパレードを見て過ごしました。
歴史的に見ると、情報へのアクセスはコミュニケーションの伝達手段のスピードにより制限されてきました。電報のシステムが開発される以前は、メッセージは馬の走る速さで伝わりました。ネットワーク技術の発達した今日の世界でも、情報インフラにアクセスする手段がないために、地域によっては他の地域よりも多くの情報にアクセスできるという状況が存在しています。
今日の技術を使ったユーザーは、学問、ビジネス、あるいは社会的知識の重要な核となる部分に、空間や時間の制限を超え、わずかのタイピング、あるいは声による命令だけで接続することができます。
こうした情報へのアクセスの手軽さが増大していくことで、情報経済、すなわちある情報を探し、特定し、使うために、多くの方法を見つけることができる経済的(かつ文化的)な市場ができました。このような経済はUXに、情報システムのデザイン方法、情報へ容易にアクセスできるようにすることによって、情報をさらに価値のあるものにするということを示唆するという点で恩恵を与えました。反面、先のTweetDeckのように、情報へのアクセスがより便利になることによって、別な予期せぬ懸念が生じました。人間の脳は、このような多重化した情報を取り扱うことができるのでしょうか?
この記事では、こうした情報の過積載がどのようにして起こるのか、また、私たちUXの現場の実践者たちはどうやってこれを避け、適切な情報をユーザーに提供することができるのか、深く掘り下げていきたいと思います。
情報経済=情報の過積載
多くのUXの現場の実践者たちは、ユーザーがマルチタスクを嫌い、また、思い込みで行動する傾向があることに気づいています。これは、人間の脳の処理能力に限界があることと、認知の近道、いわゆる経験則を使用することによるものです。
人間の脳は、記憶容量については限界がない(2.5ペタバイトのデータ、あるいは300万時間のテレビ放送を記憶できる、という説もあります)のですが、情報をどれだけ同時に処理できるかという点になると、非常に限られたものになります。「処理能力の限界」として知られているもので、これによって、なぜ私たちはマルチタスクではないのかが説明されています。「全く何の問題もなく、運転しながらメールを送ることができるよ」という人がいますが、研究によると、脳はマルチタスクで処理をやっているわけではなく、ひとつのタスクから次のタスクへと素早く切り替えているだけだということです。簡潔に言うと、コンピューターの操作システムは複数のアプリケーションとタイルとウィンドウを同時に表示させることができますが、私たちの認識力は一度にその内のどれか一つにしか注目することができないということです。
加えて、私たちはこれまでの経験に基づく近道に頼る傾向があります。社会学者のSusan FiskeとShelley Taylorは1984年にこれらの経験則についての著作で「人間は可能な限り、考えずに物事を済ませようとする。我々は認識力においてけちん坊なのである」と述べています。経験則に基づくことで、合理的に考えるよりも素早く情報を処理することができます。経験則は社会的固定観念上、広く信頼を得ていますが、システム処理の面でも、重要な決定を下すときに頼りにされています。実際、私たちの経験則の多くは、認知心理学者のDaniel GoldsteinとGerd Gigerenzeの言葉によると生態学的に合理的です。すなわち、経験則によって、十分な情報がなくても、与えられた環境や問題について役に立つ決定を下せるのです。
例えば、私たちの研究チームの調査によって、人々はAppStoreで、経験則に基づいて、何百もの同様な機能を持ったアプリの中から、単一の機能を持つアプリ(懐中電灯や辞書アプリなど)を選ぶ傾向があることが分かりました。経験則がないと、ほぼ同様の、ライトをつけたり単語を調べたりする辞書からどれを選ぶか悩んで時間を浪費してしまうことになるでしょう。
私たちはこうした、過剰な情報がユーザーの助けとならず、むしろ邪魔をしているような、選択のパラドックスを避けたいと考えます。UXの実践者として、私たちは過剰な情報で画面を散らかすのではなく、もっとも役に立つ経験則を特定し、利用すべきです。言い換えれば、ユーザーは画面に大量の情報を必要としてはおらず、少しの鍵となる情報を、美的で優雅なフレームで表示してあげれば良いのです。
情報が増え、インターフェースが増え、そして要求も増えてくる
ユーザーがマルチタスク作業を迫られるところはAppStoreだけではありません。コンピューター科学は処理や端末の限界に挑み、常に解決方法を提示し続けています。私のスマートフォンは複数の作業を同時に処理し表示することができるので、Ric Flairのものまねを練習する前に、同僚にメールの返事を書いたほうが良い、と気づかせてくれるわけです。
一方、人間の処理能力の制限についてのデザインを理解するのは難しいです。Indiana Universityのメディア心理学者Dr. Annie Lang氏は、媒体を通じて得たメッセージの処理能力の限界モデル(L4CMP)を提起し、ラジオ・テレビ・映画・その他コンピューター画面上から得られたバーチャルな情報など媒体を介して得た情報の心理的な意味付け・保存・検索処理について仮説を立てました。L4CMPモデルの本質的な論点は、人間の情報システムは、認知力を超えた情報の過積載に関する2つの原因で作動しなくなってしまうということです。
一つは、届けられる情報が処理され保存されるときに、ユーザーが持っている以上の人的、認識的処理能力を要求する場合です(例えば、ドライブしながら、直接であろうと携帯電話を通じてであろうと、人と会話をしようとする場合)。もう一つは、メッセージに対して十分に集中していないユーザーに情報を伝える場合です。たとえば、"multi-tasking"みたいに。どちらの場合も、伝達されようとしている情報量と処理能力の隔たりが、意思疎通を失敗させる原因です。Lang氏のモデルはまた、ユーザーの注意を引こうと奮闘している多くの企業についても当てはまります。たとえば、どこか有名なニュースサイトにログインすると、文字で書かれたチャンネル(記事)、音声や映像のチャンネル(ニュース動画)、交流チャンネル(掲示板やソーシャルメディアのフィード)があるでしょう。それぞれのチャンネルで大量の情報が提供されていますが、このいくつかを同時に使用するためには、潜在的に競合している認識能力を配分しなければなりません。Ric FlairのYouTubeビデオを見ながら同僚に返事を書くと、ビデオを理解することも、メールに注意を払うことも中途半端になってしまいます。
ユーザーがどのようにWebサイトやプログラムのインターフェースに対処しているか理解する一つの方法はtask load index(作業負荷指数)について考慮してみることです。より高い作業負荷指数を示すサイトは、より要求の多いインターフェースを備えており、結果的に過剰なコンテンツを表示しなければならず、ユーザーはこれを処理するために骨の折れる作業をしなければなりません。こうした要求の多すぎるインターフェースは思い出せる情報を減少させ、フラストレーションを増大させ、最終的にユーザーをサイトから立ち去らせてしまいます。サイトを理解することで、サイトがユーザーに要求する心理的、肉体的な作業量を減らすデザインの決定へと導いてくれます。
品質の高い認識体験をデザインするには
私たちはUXをデザインするとき、帯域幅やコンピューター処理の限界は頭に入れていますが、人の処理能力に限界が有ることは必ずしも考慮に入れていない場合があります。システムをデザインするとき、しばしば情報に対しより重きをおいたものになってしまいます。
情報はいつでも多いほうが良いとは限らない
私たちは空白を愛し、審美的なミニマリストが視覚的な簡素さを好むように、ユーザーの心の中を雑多なものでいっぱいにしないよう、必要不可欠な情報だけを届けるよう考慮しましょう。こと情報処理に関して、私たちは、より多ければ多いほど役に立つだろうと考えてしまいがちです。しかし、意思決定に関する研究によると、情報が多すぎると認識するのに苦労するばかりでなく、不適当な決定へと導くこともありえます。
生態学的合理性を考慮する
その情報が使われる環境を理解することは、システムをデザインするときに役立ちます。車のダッシュボードを考えてみてください。時刻や外気温を知ることも良いことです。しかし、これらが、たとえばスピードやエンジン内の温度、ガソリン残量といった運転をするためにより重要な情報に代わって、ドライバーの目の前に配置されることはありえません。システムが利用される環境について理解することは、最も適切な経験則を特定し、最大限に利用するために役立ちます。
注意をひくために複数のチャンネルを使う
コンテンツを、単一の経路から、より多くの経路を通して伝えるように移行していくと、情報の伝達も進歩します。たとえばFacebookは、当初はテキスト主体で始めたプラットフォームをより視覚的なものに移行しています。このような移行は情報をより手に入れやすく、より包括的なものにするために必須ですが、新たな認識作業をもたらすものでもあります。新しいプラットフォームを慎重に評価し、テストし、何ができるかだけではなく、その特定のチャンネルを通してユーザーが何をしたがるだろうか、ということも熟慮する必要があります。
少なくとも人的要素の見地から見た最良のシステムとは、必ずしも最多の情報を伝達するものではなく、最も役に立つ情報を最も役に立つ形式で伝えるものです。だとすると、最も役に立つシステムとは最も分かりやすいものではなく、与えられた環境で最も合理的なもの、ということになります。