UXという言葉が登場する以前に私が見たUXデザイン:エスノグラフィー編

萩本晋

オフィス機器メーカー、ユーザビリティ評価専門会社を経て、2013年に株式会社キトヒトデザインを設立。ユーザビリティ、UI/UXデザイン関連業務を行う。 趣味はちょっとマイナーな国への旅行。

UXという言葉が騒がれるようになる前にも、UXデザインらしきものは確かにさまざまな形態で存在していました。この寄稿記事では、株式会社キトヒトデザインでユーザビリティ、UI/UXデザインなどを手がけている萩本さんがご自身で体験したデザインのお話を不定期更新でお届けしています。今回は第5回目です。シリーズ全編はこちら

UXデザインの調査手法としてしばしば取り上げられるエスノグラフィー。最近になって、実は自分が学生時代にこれを体験していたことに気づきました。

意匠論・意匠史

私がデザインを学んだのは工学部工業意匠学科(当時)で、この学科はさらに9つの研究室(ゼミのようなもの)に分かれていました。4年になるといずれかの研究室に所属し、研究室のテーマに沿った卒業論文や卒業制作を行うことになりますが、3年まではどの研究室の授業も履修することができました。

私は、割と早くから人間工学研究室に入ろうと思っていましたが、3年までは意識的にどの研究室の授業もまんべんなく取っていました。

9つの研究室の1つに意匠論・意匠史研究室がありました。フランクロイド・ライトやアール・ヌーボー、アール・デコ、バウハウス、1950年代アメリカの流線型ブームなど、建築、工芸、アートなどの歴史的ムーブメントについては意匠史の授業で教わりました(残念ながら、あまり憶えていませんが)。

また、この研究室の先生方は町並み保存や地方都市の活性化などの活動に関わっており、そういったテーマの授業もありました。当時の自分の中では、デザインというと量産を前提とした工業製品というイメージがあり、過去の技術や成果の保護というよりはこれから新しく生み出す活動だと思っていました。ですから、その授業のテーマ自体に意義はあると思いましたが、それがデザイン活動と言えるのか、正直私は疑問を感じていました。

にもかかわらず私がその授業を取ったのは「自分がやりたいと思っているデザインはこの方向ではないけど、なんだか面白そう」という単純な気持ちからでした。

その研究室のある先生は、例えば「わら」という素材が人の暮らしの中でどのような道具や工芸品に加工され、利用されてきたか、といったことを研究テーマとしていた方で、そういった文化が残っている地方都市へ出向き、現地の方とも懇意にされていました。そのような地方都市はいずれも、人口減少や高齢化などの課題を抱えており、なんとか活性化したいと考えていたので、先生も現地の方に混ざって、一緒にその都市の将来のことを考え、アイデアを出すという活動をされていたようです。

その先生が授業で、地方都市を東京と比べて、大きなお店がない、電車が少ない、人口が少ないなど「ない、ない」と考えずに、手つかずの自然がある、おおらかな人間関係がある、昔ながらの伝統があるなど「ある、ある」という発想にならなければいけないと熱く語っていたのを思い出します。

先生がよく行かれていた地方都市の1つに福島県三島町があり、授業を取っている学生には現地で合宿を行う機会がありました。夏休み期間中に希望する学生だけが参加するものだったと思いますが、ここでもまた「なんだか面白そう」だと思った私は、参加してみることにしました。

福島県三島町

残念ながら、三島町合宿に関する情報は手元に残っておらず、記憶も断片的にしか残っていません。でも、ありがたいことに今はかなり立派なWebサイトがあるので、これを参考にして三島町の雰囲気を感じていただけると思います。

『福島県三島町観光協会公式サイト 奥会津 三島町』

三島町は福島県の奥会津と言われる地域にあり、鉄道の場合は只見川沿いを走るとても雰囲気のあるローカル線、只見線を利用することになります。ひとことで言えば「田舎」ですが、桐の工芸品などの味わい深い名産品があります。

(画像引用元:福島県三島町観光協会公式サイト - ギャラリー

合宿は確か1週間ほどだったと思います。その間私たちは民宿に泊まり、町にある三島町生活工芸館という施設に通って、何らかの作品を作るという課題に取り組みました。

三島町生活工芸館についてはこちらをご参照ください。

『雪国の手仕事 奥会津編み組細工』(三島町生活工芸館内 奥会津三島編組品振興協議会のWebサイト)

ここは町の伝統的なものづくり技術を体験できる施設で、私たちは材料や道具を自由に使わせていただきました。私は、桐材の切れ端を使って、振り子の原理でカタカタと音が鳴るおもちゃを作りました。

生活工芸館ではそれ以外にもものづくり体験ができたので、地元の方に教えていただいて山ブドウ細工や機織りを体験させていただきました。

あとは、この合宿について憶えていることといえば次のようなことぐらいです。

  • 桐たんす工場の見学。おそろしく精度の高い加工技術に感動
  • 一緒に合宿に参加していた大学の友人が民宿にいた小さな男の子に「大人になると目玉が取り外せるんだぞ」とコンタクトレンズを外してみせてからかっていたこと
  • 夜、車で山道を走っていたら、タヌキを目撃
  • 町の共同浴場といった趣の温泉で、地元のおばあちゃんとの混浴

一応造形の課題もあり、たぶん後でレポートを提出したりしたのでしょうが(記憶にはありませんが)、私自身の自覚としては、何かを学んだというより単に田舎暮らし体験を楽しんだだけの合宿でした。

エスノグラフィー

4年になって、私は当初の希望通り人間工学研究室に所属しました。この時点で自分は意匠論・意匠史とは完全に別の道を選んだつもりでした。

ところがそれから20年ほど経ち、UXデザインが注目されるようになり、エスノグラフィーという調査手法が話題となりました。

この手法は簡単に言うと、調査者が調査対象となる人たちが活動する現場に入り込んで、自身も同じように活動してみることで、彼らの実態を理解していくというものです。もともとは文化人類学者が使っていた手法だそうです。例えば南海の孤島の原住民の伝統儀式を調査する場合、普通にインタビューしても言語の壁もあるうえ、なぜその儀式が行われているのか本人達も自覚していない場合があるため簡単には回答が得られません。そんなとき、学者自身が現地で原住民と一緒に暮らし儀式に参加してみると、その意味が読み解けるというわけです。

エスノグラフィーについて知った当初は、自分が全く知らない新しい手法が登場したと思いましたが、ふと三島町のことを思い出しました。私が体験した合宿はたかだか1週間でしたが、あれを先生のように長期間、度々現地を訪れて地元の人と一緒に活動すれば、まさにエスノグラフィーそのもので、彼らのメンタリティまで理解できるようになったのでしょう。

当時、先生から「エスノグラフィー」という言葉を聞いた記憶もありませんし、調査手法としてのテクニックなどを教わった記憶もありません。あるいは、先生自身もエスノグラフィー手法を使っているという意識はなかったのかもしれません。でも、紛れもなくあれはエスノグラフィーであり、学生時代に自分もその一端に触れていたのです。

自分の中ではあれほど遠いと思っていた意匠論・意匠史と人間工学が、こんな形で接点を持つことになるとは実に不思議です。あのとき「なんだか面白そう」とあの合宿に参加した自分を褒めてあげたい気がします。

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