ユーザーにサービスのデモ説明の予約を強制するより、無料トライアルを配信するほうが良いということは周知の事実です。
また、価格などをWebサイトに明記し、透明性のある価格体系にするべきだということも広く知られています。サービスを試してもらうのではなく、ただ「お問い合わせ」だけを表示するのはばかげたことです。
ほとんどの場合、UXの経験則は非常に合理的です。SaaSという複雑な世界では、必ずしも通常のサービスにおける登録のベストプラクティスが適用されるわけではありません。ソフトウェアの購入に関して言えば、ほかでは良くないとされる長々とした購入フローが、もっともユーザーフレンドリーなオプションになりえるのです。
実際、一見「良くない」とされる登録プロセスもよく考えられ、慎重に設計されています。
SaaSユーザーは「わかっている」
最近、人々はますます技術に精通するようになってきました。好きなソフトウェア製品を見つけると、すぐに使いたくなります。そして結局、自分自身で調査するのです。私たちは製品を試そうと思う前でさえ、レビューを見たり、特徴をよく分析したり、SaaS製品の評価をしたりします。
さらに、ソフトウェアを使用していて手が止まってしまうようなことは滅多にないようになってきました。最近の製品の多くは、瞬時に操作ができるわかりやすいUIを提供しています。そのため、知識を持った購入者がすぐに使える無料トライアルを期待するのは無理もないでしょう。
この種の手っ取り早いセルフサービス型のアプローチにおいて、明確な価格表が求められうのもまた当然のことです。ユーザーは、ソフトウェアの良し悪しの判断を自ら積極的に行いたいと考えています。そして、その判断は事前情報なしで行うことはできません。
おそらく、コンピューターの知識を持った顧客とアクセシビリティの需要が高まったことで、無料トライアルを提供するSaaS製品が増えました。2012年には無料トライアルを提供しているSaaS企業は44%のみでしたが、2015年には60%まで増加しました。ユーザーが素早く簡単にサービスに登録できるようにすることがベストプラクティスとなり、このプロセスを提供していないベンダーは、将来ユーザーを失う可能性があるでしょう。
「ベストプラクティス」の神話
残念ながら、SaaSの登録シーンにおいて「ベストプラクティス」はほとんど存在しません。Mark Rosenthal氏の発言には、以下のようなものがあります。
ベストプラクティスとは通常、成功した企業の行った方法を真似して、プロセスや文化に詰め込もうとすることである。
コア機能のほんの一握りを提供するシンプルな製品の場合、すぐに使えるセルフサービス型のアプローチは間違いなくうまくいきます。しかし、豊富な機能と長々としたセットアップが必要な大規模な製品は、すぐにダウンロードして使ってもらうアプローチとの相性は良くありません。
1つのソフトウェアを取り扱うベンダーは、(おそらく今後も)ほかのソフトウェアを取り扱うことはないでしょう。UX専門家は、あらゆるブランドに助言するでしょうし、ベンダーは自分たちの製品と市場ポジションを理解して、もっとも適した登録方法を採用し、その結果をもとに改善し続ける必要があります。過去に人気だった方法を真似してユーザージャーニーに取り込み、うまくいくことを期待するようでは実現しないでしょう。
SaaSベンダーの場合、「ベスト」プラクティスを真似すれば、確かに短期的にUXの満足度を得ることができるでしょう。しかし、製品自体がオンボーディングプロセスに適さない場合、あとの工程においてより深刻なフラストレーションを招いてしまうだけです。
このように、ベストプラクティスが適応していないことを実証するには、無料トライアルの成功率を見れば十分です。SaaSアプリケーションの無料トライアルを利用している60%のユーザーは、1度使用した後に再訪していません。そして66%のベンダーが、無料版から有料版にしたコンバーション率は、25%以下だと報告しています。2016年のほかの調査では、無料のソフトウェアトライアルから獲得した新規顧客は、5年で減少するとわかりました。明らかに、ベストプラクティスは全員にとってベストなオプションではないということがわかります。
フォードの自動車と馬
すぐに利用できる登録プロセスは、ユーザーが必要なことやソフトウェアの使い方を正確に理解している場合にのみ機能します。このようなケースは滅多にないでしょう。Joanna Wiebe氏はこう発言しています。
もし、Henry Ford 氏が「ここにフォード・モデルTの鍵があります。馬の代わりに自動車を使える日数は30日です。」と言っていたら、自動車は大量生産されたでしょうか。
ユーザーに複雑な製品の鍵を簡単に提供することは、問題を引き起こしかねません。製品を手に入れる際に生じるフラストレーションの根本的な理由は、ベンダーと密に連絡を取る必要がある長々とした登録プロセスにあります。しかし、このことはよく忘れられてしまいます。
では、ソフトウェアをゆっくりと紹介するためにブランドはどのような工夫をしているのでしょうか。
恐ろしいデモ
「デモを予約する」のボタンをみたとき、あなたはそのスピード感にため息をつくでしょう。しかしこれには(ほとんどの場合)ちゃんとした理由があります。当然のことながら、セットアップが簡単で使いやすく、最初から製品を使うメリットを提示できるのであればデモは不要です。
しかしながら、多くのソフトウェアのソリューションはそれほど簡単ではありません。使いこなすには詳細な設定と学習が必要です。これらの例では、デモは製品の良さを提示するために必要でしょう。デモにより、ベンダーがユーザーの主要なニーズに対処できるようになり、製品の問題に関する重要な側面を示すことができます。
複雑なソリューションの無料トライアルの場合、ユーザーはすぐに試行錯誤をやめてしまいます。デモの場合は、最初の混乱を回避できるため、ユーザーは徐々に製品に慣れていくことできます。つまり、ユーザーの問題に焦点を当てて、どのように解決できるかに注意を払うべきです。この温かいアプローチは、ソフトウェアがユーザーの生活を明示的、そして専門的にどのように改善するかを示します。
もちろん、製品を見る前にデモのスケジュールを立てることは、面倒かもしれません。それに、初期段階においてはあまり便利ではないでしょう。しかしデモは、ユーザーが製品の機能を理解し、そこから最大のROIを得て、大局を見る上で役立ちます。製品のユニークさに価値を見出しているユーザーには、変更する価値があるでしょう。SaaSの製品にとって、デモは無料トライアルでよくある失敗に役立ちます。
隠された価格
もうひとつの「良くない」登録プロセスは、SaaSの支払いオプションを隠してしまうことです。一般的には、ユーザーに対して透明性を持ち、製品の費用を掲載することが推奨されています。最終的に、初期費用がユーザーの満足度を左右し、登録を進めるか判断する材料となります。
それにもかかわらず、すべてのSaaSベンダーがソリューションの費用を掲載しているわけではありません。事実、費用リストを掲載しているプロバイダーは55%から47%に減少しました。つまり、半数近くの企業が見込み客に対して費用リストを隠しているのです。
大半のケースにおいて、費用を隠してしまうことによる透明性の欠如は、顧客に対する配慮が足りなく、怪しいものに見えるでしょう。曖昧さは良くないUXです。そして、不幸なことにエンタープライズやカスタムのSaaS製品は、常に明確とは限らないのです。
しかし、販売サイクルが3ヶ月以上かかる場合、費用は掲載しないほうが良いでしょう。このような長いサイクルは、さまざまなオプションを検討するような複雑な販売プロセスがあることを意味します。大抵が固定価格ではなく、各取引に合うように計算されたより高額なものです。そのため、もし顧客が最初にオンライン上の定価を基にベンダーに問い合わせてしまうとだまされたと感じるでしょう。また、幅広いオプション価格に満足しないかもしれません。
同様に、費用を掲載する前に顧客ベースを検討する必要があります。販売モデルが既存の顧客に対する販売に重点を置いている場合は、固定価格を掲載することで混乱や撤退を引き起こす可能性があります。たとえば、SaaSベンダーが規制された業界で一握りの顧客とのみ契約を行っている場合、その費用は交渉の余地があるかもしれません。
必ずしも絶対SaaS製品の価格を明示する必要があるというわけではありません。コンテキストが鍵となります。取引の規模が大きくなり、SaaS製品がより複雑になったら固定価格を掲載するのはばかばかしいですし、あとの工程で障害を生んでしまうかもしれません。
万能なものはない
複雑な市場では、オプションを掛け合わせるのがUXにとってもっとも良いでしょう。たとえば、デモのあとに無料トライアルを試すことができるというものです。そうすればユーザーは製品について理解し、購入する前に合うかどうか評価できるようになります。
また、セルフサービスデモを提供することもできます。これは、ダミーデータが入れられた製品を実際に使ってもらい、プロンプトやヘルプによってサポートしながら製品体験を再現するというものです。このオプションは、販売代理店に頼ることなく、オンボーディングを短縮し、ユーザーに対するプレッシャーを軽減することができます。ユーザーは、デモを予約して待つことなくソフトウェアの概要を把握することができます。
より複雑な価格パッケージにおいては、小さなビジネスに費用を提示することを検討してみてください。そして企業取引では、古典的な「連絡」オプションも良いでしょう。
突き詰めていくと、世界共通のルールはありません。すべての製品が違うので、すべての登録プロセスは製品の複雑さや顧客ベースに適合している必要があります。これは技術的前提を隠したり「ベスト」プラクティスに従うのではなく、データや実際のユーザー観察を基にします。
短期間で失うもの、長期間で得るもの
オンラインのバイヤーとして、私たちはほんの数回のクリックで欲しいものが手に入るという環境に慣れてきました。そのため、動作が遅いときや複雑な階層は面倒に感じてしまいます。しかし安心してください。SaaSソリューションにすぐにアクセスできないように邪魔するハードルには、何らかの理由があります。
SaaSの購入において、短期的なUXに対する苛立ちがあったとしても、全体的にはより良い体験を導く可能性があります。しかし例外的に、いくつかのベンダーは良いUXを作ることができないこともあります。それでも、すぐ製品にアクセスできないことを許容する価値はあります。初期は障害物として立ちはだかっても、残りのユーザージャーニーにおける、より円滑なユーザー体験を提供するために設計されていることもあるからです。