「ユーザーエクスペリエンス」という用語は、「コモンセンス(訳注:常識、良識、共通の感覚)」という言葉を言い換えたものでしょうか? 結局のところUXとは、直感的かつシンプルで理解しやすい体験を目指すものです。優れたUXデザインとはコモンセンスに沿ったデザインであり、優れたユーザビリティはコモンセンスを必要とします。
明快であることと理解しやすいことは密接に関わり合っているため、UXをコモンセンスの同義語と見なす人は多いです。2つを関連付けるのは、表面上では論理的で問題なく見えます。実際、UXを「コモンセンス」と呼ぶこと自体がコモンセンスに沿っているように聞こえるでしょう。
しかし、現実はそうわかりやすくはありません。過去を振り返ると、UXとはコモンセンスであると定義するのは、実に短絡的であり、最悪の場合ビジネスにリスクをもたらします。
共通事項
UXとコモンセンスには多くの共通点があります。UXの専門家も両者が似ていることを認めています。 TeazMediaの記事では、「UXこそがコモンセンスである」と述べられています。プロダクトデザイナーのMike Locke氏も、「UXデザインとはコモンセンスである」と主張しています。あるいは、UXを嫌悪するJason Clauss氏によれば「このムカつく言葉は、コモンセンスを必要とする」そうです。
UXとコモンセンスが本質的に重複していることは事実でしょう。UXデザイナーは、ユーザーを悩ませる要素やフリクションをユーザージャーニーから取り除く努力をします。そのためには、ユーザー体験がとてもスムーズで明確で、わかりやすい必要があります。
「考えさせない(Don’t make me think)」という原則に従う際は、常識的な質問から始まります。もっとも単純で論理的なユーザーフローのデザインはどのようなものでしょうか? もっとも簡単で集中せずにユーザーが目標を達成できる方法はどのようなものでしょうか? できるだけ早く確実にユーザーがAからBにたどり着ける方法はどのようなものでしょうか?
つまり、製品やWebサイトをユーザーが常識的に操作できるようにするためには、UXデザイナーもコモンセンスに基づく思考を受け入れなければなりません。「UXとはコモンセンスである」という主張を支えているのは、このような誰にでも使えるロジックとUXの関係です。
短絡的に物事を見る
残念なことに、UXとコモンセンスを同じ意味で扱うことは適切ではありません。UXに携わる人なら誰でも知っているように、UXは、ほとんどの人が思っているよりはるかに広い範囲に対して責任を負っています。カラースキームや最適なボタンの配置場所など、UXには多くの要素が存在します。優れたUXとは、機能的な製品を消費者から愛されるヒット商品に変える、見過ごされていた「言葉に表せない魅力」です。
同様に、UXの文脈におけるコモンセンスは、習慣や行動心理学、何年もの体系的な研究と言い換えられます。現在常識として考えられるユーザーステップは、ベストプラクティスと慣習によって作られたものです。この著者が書いているように、「『コモンセンス』という言葉は、仕事の非常に大きな部分を表している」のです。
「UXとはコモンセンスである」というフレーズは、不真面目なジョークや一時的な理解としては機能するかもしれません。しかし、単純化しすぎると、UXを短絡的に理解することになります。
UXの実状
仕事の多くの領域は、部外者から完全に理解されることはありません。では、「UXとはコモンセンスである」というフレーズを用いて一般の方向けにわかりやすく説明することは、なぜそれほど問題なのでしょうか?
UXは長い歴史を持つにもかかわらず、現代の職場ではまだ新しい分野なのが実状です。 1857年の最初の人間工学の研究から1879年の最初の心理学の研究、1949年のヒューマンファクターという分野の誕生にいたるまで、UXは科学と心理に深く根ざしてきました。 Brian Pagán氏の言葉を借りれば、「UXは200年間積み上げられた科学の知識と30年に及ぶ業界のベストプラクティス、特に応用研究に基づいている」そうです。
このような歴史の中、UXはビジネスシーンで地位を獲得し始めたばかりです。UXを用いた仕事は、1993年まで存在しませんでした。結果的に、UXの専門的な領域は、この記事を読んでいるほとんどの人よりも若いでしょう。UXはインターネット革命とiPhoneの発表以来勢いを増し続けていますが、UXの仕事が主流になり出したのは、過去10年ほどのことです。
現在でも、UXの仕事に就いている人はわずか100万人程度しかいません。開発者は2,200万人いることと比較すると、きわめて人手不足な現場です。UXはまだ新しい概念で広く理解されておらず、職場での役割を正式なものにしようと奮闘している段階です。UXを「コモンセンス」として単純化することは、何世紀にもわたる試行錯誤の価値を損ない、重役会議でUXを認めてもらうための努力をないがしろにしてしまうかもしれません。
「コモンセンス」の実状
「UXとはコモンセンスである」というフレーズに対する反論のもう1つの側面は、コモンセンスという定義しにくい要素です。紛れもない現実として、コモンセンスは存在しません。コモンセンスとは、謎が謎に包まれたような存在であり、まったく万人に共通することはありません。
もし万人に共通するコモンセンスがあるならば、ピーナッツの商品にナッツが入っていることを注意書きする必要はありませんし、漂白剤を目に近づけてはいけないという説明文も必要ないでしょう。また、UXデザイナーであれば、ユーザーペルソナやユーザーストーリーの作成に時間を費やしたり、ユーザーが「シンプルな」製品をどのように操作する(そして苦労している)のか大量に分析したりする必要がないでしょう。
実際、製品が「コモンセンス」であるという発言によって開発者が表現したいのは、製品が人々に馴染み深いものであるということです。あるユーザーにとっての常識を、別のユーザーはまったく理解できないかもしれません。UXを実践する人なら誰もが知っているように、「コモンセンス」な技術の仮説はしばしば悲しいほどに間違っています。
Adi Tedjasaputra氏は次のように言い表しています。「製品のユーザビリティを確保する上で、コモンセンスに頼るのはまったく賢明ではありません。それだけでなく、コモンセンスに頼ると、危険な誤解を招くこともあります。」「UXとはコモンセンスである」と主張することは、仕事の幅広さや、製品を使いやすくするために実行される徹底した分析の価値を失墜させることになるのです。
卓越した仕事
製品を作るのは間違いなく難しい作業です。しかし、ユーザーに愛される製品を作るのはそれ以上に困難です。UXを単純化したり批判したりするのは簡単ですが、上手に実行するのは容易くありません。UXが本当に単なるコモンセンスであれば、完璧なデザインが世に溢れているでしょう。
コモンセンスに基づく体験を提供するには、一般的でない卓越した仕事が必要になります。もし製品が完璧に構築されていたら、すべての顧客層から常識的だと受け取られるでしょう。Andrew Stewart氏が書いているように、「上手にデザインされたものは、それこそがあるべき姿だと当たり前のように思える」のです。
優れたUXデザインはありふれた風景の中に隠れており、「当たり前」の様態の背後に存在します。UXをあまりに単純化して話すことで、本当の影響力と価値はさらに見えにくくなるでしょう。「UXはコモンセンスである」というフレーズは誉め言葉に思えるかもしれませんが、表象部分ばかりに目が向くことになり、さらに本質を曇らせてしまうのです。
大局的な見方
結局、UXとはコモンセンスなのでしょうか? もしデザインが色を塗ったり、ページにコピーを配置したり、論理的な思考だけで開発をしたりするものであれば、UXとはコモンセンスでしょう。
そうでないと考えるなら、説明責任やコンテキストという呼び方をおすすめします。Donald Norman氏が「ユーザーエクスペリエンス」という用語を最初に作ったとき、彼はこのように説明しました。「インターフェイスやユーザビリティでは意味が狭すぎると思ったので、私はUXという用語を発明しました。産業デザインやグラフィクス、インターフェイス、物理的なやりとり、マニュアルなどの、システムに対する人間の体験のあらゆる側面を包摂したかったのです。」
Norman氏の最終的な目標は、この新しい定義を通じて、知識の幅広さと責任を増すことでした。取るに足らないことに思えるかもしれませんが、「UXとはコモンセンスである」といった限定的な一般論に甘んじることは、UXの理念に対して逆効果なのです。