UXという言葉が騒がれるようになる前にも、UXデザインらしきものは確かにさまざまな形態で存在していました。この寄稿記事では、株式会社キトヒトデザインでユーザビリティ、UI/UXデザインなどを手がけている萩本さんがご自身で体験したデザインのお話を不定期更新でお届けしています。今回は第8回目です。シリーズ全編はこちら
UXデザインと同時に語られることはあまりないようですが、製品やサービスとユーザーの関係性についての重要な概念に「ユニバーサルデザイン(UD)」があります。
恥ずかしながら、自分で作ったWebサイトもユニバーサルデザイン仕様にできていない私が偉そうなことを言える立場ではないのですが、今回はこの話題を取り上げたいと思います。
国際福祉機器展
大学の卒業課題のテーマが寝たきりの人のためのツールの提案だったこともあり、先生に教えていただいた国際福祉機器展(当時は別の名称だったかもしれません)を初めて見に行ったのは大学4年のときでした。会場は浜松町のあるビルの数フロアだったと思いますが、展示会としてはコンパクトで学園祭のような雰囲気でした。
当時の私は、福祉は重要だと思っていましたが特に強い思い入れはなく、普段目にすることのない機器やツールを見られることがデザイナーの卵として刺激的だったというのが正直なところです。そんな自分にとって福祉機器展はワクワクできる場所でした。また、当時の福祉機器はあまりデザイナーが関わっておらず、正直言ってかっこ悪いものが多かったので、今後デザインが必要とされる分野だと思いました。
それ以来、毎年とは言わないまでも、できるだけ見に行っているのですが、年を追うごとに規模が大きくなり、今では東京ビッグサイトの東展示棟全てを使うスケールで、2017年の来場者数は12万人以上だそうです。この発展ぶりには目を見張るものがあります。
ある年の福祉機器展では、会場で車椅子バスケットの試合をやっていたのですが、あまりの迫力に度肝を抜かれました。車椅子バスケットは、健常者でも車椅子に乗ればできる競技ですが、おそらく健常者と障害者が対戦したら、健常者はまったく歯が立たないでしょう。健常者と障害者が同じことをやって、障害者の方がうまくやれるという場を作ることは、福祉社会として重要なことではないかと、そのとき思いました。
国際福祉機器展については、公式サイトをご覧ください。
言葉の変遷
国際福祉機器展は2018年で45回目だそうで、かなり歴史のあるイベントです。イベント名に「福祉機器」という言葉が使われていますが、おそらく当時はこの分野を表現する言葉はこれしかなかったのでしょう。「福祉」の本来の意味はすべての人の幸せを指すようですが、一般的には「福祉機器」というと障害者専用の製品という印象が強くなります。そこで、障害者も健常者も含めてみんなが共存する社会という理想を表現すべく、さまざまな言葉が使われるようになっていきます。
私が最初に聞いたのは「共用品」という表現でした。これは、障害者が障害者専用に設計された製品を使うのではなく、健常者と障害者が同じ製品を使えるようにしようという設計思想です。共用品の代表的なものとして、シャンプーとリンスを手探りで区別するためシャンプー容器の側面につけられたギザがよく紹介されます。また、キーボードや白物家電のボタンのホームポジションを指で確認できる凸形状や、様々なカードやドリンクの種類を触覚で区別するための切り欠きなども、そのような工夫の一種です。
共用品として紹介されているものは、既存の製品にちょっとした工夫を加えられたものが多い印象です。
詳しくは共用品推進機構のWebサイトをご覧ください。
しばらくすると「バリアフリー」という言葉を耳にするようになってきました。「バリア」すなわち「障壁」を取り除くので「バリアフリー」というわけです。建築の分野では今でもこの言葉はよく使われている印象で、住宅内の段差や公共施設の階段など、車椅子ユーザーや高齢者にとっての障壁を取り除く工夫が行われています。また、「バリアフリー」で言うバリアには、このような物理的なバリアだけではなく心理的なバリア、社会制度的なバリアも含まれています。わかりやすい日本語でいうと「分け隔てをしない」という考え方だと私は理解しています。
その後、「ユニバーサルデザイン」という言葉が登場します。「ユニバーサル」は「一般的な」という意味で、年齢、性別、障害の有無などに関わらず誰でも利用できるようにデザインするという考え方です。「ユニ(uni)」は「単一の」といった意味を持つ接頭辞なので、単一の仕様の製品がどんな人にでも使えるという世界観が念頭にあるものと思われます。「ユニバーサルデザイン」についてよく聞く説明では、「バリアフリー」はバリアがあることを前提にしているのがよくないので、最初から多様な人々を受け入れる概念として「ユニバーサルデザイン」という言葉が作られたという話です。
さらに私の周りではあまり使われていなかったと思いますが「ノーマライゼイション」という言葉もあります。これらのどれが適切かといった議論は、思想的な追求としては意味があると思いますが、製品デザインの現場では、できるところから取り組んでいくしかないというケースも多く、個人的にはあまり微細な言葉のニュアンスの違いにこだわる必要はないと思います。
一時的なハンディキャップ
ユニバーサルデザインの目指すところは、あらゆる環境、あらゆる製品やサービスにおいて全ての人が同じような体験を享受できることだと思いますが、現実にはそのような製品やサービスをデザインすることは容易ではありません。ただ、そのような理想を掲げることはデザインが目指すべき方向を示す灯台として大いに価値があると思います。
あまり大上段に構えずに、できるところから取り組んでいこうとするのであれば、特定のシーンに限定することで、ユニバーサルデザイン的な工夫が活かせるケースがしばしばあります。
健常者の生活をよく観察すると、一時的に視覚や聴覚、身体能力が発揮できない場面があります。暗い場所、明るすぎて眩しい場所、シャワーを浴びて目を閉じている場面などでは視覚に頼れません。タッチタイピングは画面の方を見ていますし、自動車運転中の機器操作は周囲の安全確保の方に視覚を使ってしまいます。周りがうるさいところや、イヤフォンで音楽を聞いているときは、外界からの音を受け取れない状況となります。荷物を持っていたり傘をさしているときなどは、片手しか使えないケースもあります。
これらは、健常者が一時的にハンディキャップを抱えた状態で、これに対する対策は、恒常的にハンディキャップを抱える視覚、聴覚、身体障害者にとってもほぼ間違いなく役立つものとなります。
このような小さなユニバーサルデザインのアイデアを得るため、健常者の行動を観察し、一時的なハンディキャップを探してみるのも面白いかもしれません。
障害を持った被験者
これまでの私のキャリアの中で、ユーザビリティテストの被験者として障害者に参加していただいた機会が少なからずあります。視覚障害の方が一番多いのですが、聴覚障害、車椅子などの運動系の障害者の方と接したこともあります。
私は日常的に障害を持った方と接する環境にはいないので、障害を持った方からお話をうかがうと多くのことに気づかされます。直接当事者の様子を観察しインタビューする機会がいかに重要か実感させられます。日常生活でどのようなご苦労をされているかという気づきばかりではなく、障害があっても実は様々なことができるという気づきも多く得られます。
たとえば、視覚障害者の方は驚くほどスマートフォンを使いこなしています。AndroidにはTalkBack、iPhoneにはVoiceOverという視覚障害者支援機能が標準で備わっています。これらを使うと目が不自由でもスマートフォンのほとんどの操作が可能になります。いずれも、画面上のどこかをタッチすると、そこに何があるのか音声で説明してくれるので、あちこちタッチしながら目的のものを探し、見つかったらダブルタップで実行するという操作方法です。
従来PCのGUI(グラフィカル・ユーザーインタフェース)は視覚障害者には極めて使いづらいと言われてきましたが、スマートフォンには当てはまらないようです。その原因の一つはマウス操作と指でのタッチの差にあります。前者の場合、ユーザーが直接操作するのはマウスですが、操作上重要なのは画面上のカーソルの位置です。視覚に頼れない状況では、カーソルが画面のどこにあるのか判断するのも難しいですし、今ポイントしている位置から真横に1cmカーソルを動かすといった操作を確実に行うのは事実上不可能です。
一方、スマートフォンの場合は画面サイズも小さく、指で画面を直接タッチするので、画面のどの辺りをタッチしているのかわかります。そこから1cm真横にずれた位置をタッチするのも簡単にできます。よく使う画面であれば、ボタンの位置を覚えることも充分可能です。あとはTalkBackやVoiceOverのような優れた支援機能さえあれば、かなり自由に使いこなせるのです。
UXデザインとユニバーサルデザイン
UXデザイン以前は、しばしば作り手の思い込みで製品をデザインし、その結果ユーザーに受け入れられないという失敗していました。この反省から、UXデザインでは様々な調査手法を用いてユーザーを理解し、ユーザーの視点から製品やサービスを評価することを提唱しています。これは言い換えれば、作り手は事前にユーザーについてイメージできていなくても、調査によって彼らの事を理解すれば、彼らに適した製品やサービスを提供できるという意味でもあります。
障害者をターゲットとした製品を作るうえでのハードルの一つは、作り手にとって障害者が身近な存在ではなく、彼らのことをよく理解できていないということです。でもUXデザイン手法を使うことで、障害者というユーザーを理解することができ、彼らのニーズに合った製品やサービスを開発できるはずです。この点でUXデザインは、ユニバーサルデザインの一助になりうると思われます。
一方で、UXデザインではペルソナなどの手法でターゲットとなるユーザー像を想定することを提唱しています。実際万人に刺さる体験を提供するのは極めて難しいので、特定の特徴を持ったユーザー像を想定するという考え方は合理的ですし、実際かなり定着している印象です。その結果、作り手は想定したユーザー像以外のユーザーを排除することに抵抗感がなくなってしまう可能性があります。そうなると、障害者や高齢者は想定ユーザー像に入れてもらえない限り、まったく考慮してもらえないことになってしまいます。
おそらく、ペルソナ手法でいうユーザーの絞り込みとユニバーサルデザインで問題となる一部のユーザーの排除は、少し意味が違うのではないかと思いますが、私自身もうまく説明ができません。いずれにしろ、ユーザー像の絞り込みというUXデザインの手続きがユニバーサルデザインを推進しづらくする可能性があるのではないかと懸念しています。
私自身は、ユニバーサルデザインもUXデザインも、デザインのあるべき姿、目指すべき方向として価値があるものと思っています。両者が矛盾や対立を生み出すことは望みません。うまく両立、共存、補完できるような関係性であって欲しいと思います。
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UXという言葉が登場する以前に私が見たUXデザイン