2005年、あるレストランのオーナーがノートPCを使っている際に、苛立ちのあまりパソコンを巨大な鍋に投げ入れました。2007年、怒り心頭の男性が窓からPCを投げ捨てたことで、深夜に警察沙汰の騒動になりました。さらに2015年には、激昂したユーザーが自分のPCを路地に持ち出して、弾丸を8発打ち込むという事件が起きました。
テクノロジーに対する苛立ちは誰もが経験しています。ほとんどの人はデバイスを鍋に投げ込むのを何とかこらえていますが、電子製品が理解不能な動きをしたときの腹立たしい感情について、私たちは皆よく知っています。このような体験は「コンピューターレイジ(computer rage)」と呼ばれています。激昂したユーザーが不合理な行動を起こす現象は数多く記録されており、学術的な研究の対象になっています。
幸いなことに、ユーザーの怒りを鎮める薬が存在します(カウンセリングも器物損壊の罰金も必要ありません)。その薬こそ、ユーザー体験(UX)なのです。
事実、スムーズなユーザー体験を生み出すことで、ユーザーの怒りは静まり、デジタルデバイスへの苛立ちを防ぐことができます。そのような考え方をしたことはないかもしれませんが、優れたUXは、テクノロジーに対する突発的な感情の爆発を防いでくれる鎮静剤としても作用するのです。
システムへの怒り
コンピューターレイジの頻発は深刻な事態を招いています。1999年の調査では、コンピューターで仕事をしている人のほぼ半数がITの問題のせいでフラストレーションやストレスを感じていることがわかりました。また、2009年の調査では、54%の人がコンピューターを言葉で罵ったことがあり、40%の人がコンピューターに暴力を振るったことがあると答えました。
このような振る舞いは職場や家庭で日常的に目にします。同僚が画面に向かって悪態をつき、使いにくいソフトウェアに暴言を吐くのを見たことがあるでしょう。あなたもアプリケーションが予想外の動きをしたときにキーボードをバンバン叩いたり、モバイル対応していないWebサイトの操作に嫌気がさして、スマホを投げ捨てたりしたことがあるのではないでしょうか?
さまざまなエピソードはさておき、ユーザーの苛立ちは必ずしも攻撃的な行動としてはっきり現れるわけではありません。苛立ちのサインは、デジタルデバイスの些細な動きに対しても現れます。たとえば、ボタンが反応しないとき、私たちは強めにクリックし直すでしょう。そして、我慢できなくなって徐々にタップを速めていきます。あるいは、Webページやウインドウのローディングが遅すぎると、私たちは決まってマウスを「興奮したねずみ」のように激しく動かし始めます。また、次に何をしたらいいかよくわからない場合、たとえば2つの選択肢の間でマウスを行ったり来たりさせる「ためらいの傾向」を示すかもしれません。
デジタルデバイスに対する苛立ちは、フォームの入力を途中で諦めるという形でも現れます。あちこちをせわしなくクリックしたあげく、結局「×」ボタンを押して閉じてしまうのです。不快感を露わにして、入力した内容を保存する前に離脱したり、入力フォームに無理矢理テキストを詰め込んだり、作業を中断して製品ページやWebサイトに戻ったりするでしょう。
このようなフラストレーションは、私たちの現代生活の一部になっています。フラストレーションは目に見える形で肉体的な行為として現れることもあれば、些細なデバイスの動きに兆候が現れることもあるのです。
フラストレーションの心理学
では、私たちは誰もが非常に神経質なユーザーなのでしょうか? 不適切なユーザー体験に対して私たちが緊迫した態度や苛立ちを示すのは、ただの不機嫌よりも深刻な事態です。
心理学者のFreud氏はフラストレーションを目標達成と関連付けました。私たちの行動には目的や目標があり、その達成に対するいかなる妨害も不快に感じるのです。目標の達成ではなく、目標への期待感をフラストレーションと結びつける心理学者もいます。目標を追求している過程で私たちの期待感が阻まれると、阻まれたことによって充足できなくなり、期待がゆがめられます。あるいは、Roger Barker氏の仮説のように、「妨害によって欲求が満たせなくなる」ときにフラストレーションが生じるのです。
フラストレーションについてより詳しく分析すれば、ユーザーにどのような影響があるのかを理解する助けになります。リンク切れは目標達成の障壁になるため、決して些細なWebサイトの不具合ではありません。ソフトウェアの小さなバグはユーザーの進捗を妨害するため、決して単なるエラーではありません。UIデザインに関しては、タブや選択肢がわかりにくいと最終目標がまったく見えなくなり、Webサイトはまさに迷路と化してしまいます。
不適切なユーザー体験に対してフラストレーションを感じたり、攻撃的になったりすることは、ユーザーが神経質で狭量だからというわけではありません。実は、ただ基本的で自然な反応を無条件に示しているだけなのです。
テクノロジー依存
ユーザーのフラストレーションはテクノロジーへの信頼感によってさらに悪化します。私たちの生活はますますデジタル化してきているので、デバイスやプログラム、Webサービスへの依存度は強まっています。テクノロジーは味方であり、ほとんど友人のような存在です。
私たちはコンピューターをまるで生身の人間のように扱っているという学説さえあります。「メディアの擬人化(Media Equation)」という学説によれば、私たちは知人や友人に対するのと同じようにテクノロジーに反応し、コンピュータの振舞いはパーソナリティが原因だとさえ見なすのです。恐らく私たちは、自分で実感しているよりも頻繁に擬人化していて、その反応は避けられないようです。
つまり、酷いユーザビリティやパフォーマンスの問題に直面したとき、私たちは客観的になることが難しいのです。Webページがフリーズして、進めてきた作業内容が消えてしまうと、Webページが聖書の裏切り者『ユダ』のように思えてきます。使いにくいソフトウェアは、故意にぎこちない動きをして、私たちの神経を逆撫でしようと躍起になっているように感じられます。機能が詰め込まれたWebサイトは、次から次へと商品を突き付けてくる押し付けがましい営業マンと同等です。
では、なぜ私たちはイライラするユーザー体験に対して、これほど強い反応を示すのでしょうか。私たちは知らず知らずのうちに、テクノロジーが自分のことを知っていて、人間的な知能を駆使してニーズに応えてくれることを期待しています。つまり、仲のいい同僚や仲間のように考えているのです。Tim Rotolo氏が述べているように、「コンピュータが突然私たちの作業を阻んだり予想に反した動きをしたりすると、私たちは社会のルールがおかされたり、裏切られたように反応」します。ほんの些細なクラッシュやリンク切れのせいで、テクノロジーは味方から敵へと変わるのです。
苛立ちに対処するには
ユーザー体験が優れていれば、私たちは正気を保っていられます。優れたユーザー体験は、苛立ちが爆発するのを防ぎ、デバイスに攻撃的にならないようにしてくれる鎮静剤として機能します。感情とUXの関連は単なる憶測ではありません。UXが良くても悪くても私たちは感情的に反応することが研究によってわかっています。
たとえば、共感的なUXによって、私たちは感情をコントロールしやすくなることが、ある研究グループによって発見されました。インターフェイスにおいてエラーを体験したユーザーに積極的に耳を傾けて、彼らのフラストレーションを認めたことが、ユーザーが感情をコントロールして苛立ちを鎮める助けとなったのです。別の研究では、ユーザーのミスを肯定的に認めるとユーザーの怒りが減ることがわかりました。さらに別の調査では、ユーザーが操作に手間どっているときに積極的に介入すると、ユーザーの問題解決能力が向上し満足感が増える結果につながることがわかっています。
当然ながら、デバイスを使っているとき、操作が上手くいかなくなることがあります。Stacy Shaw氏は「テクノロジーはとっくに完璧になっていると私たちは思い込んでいるが、実際は決して完璧ではない」と述べています。インターフェイスに困惑し、バグに作業が妨害され、ユーザージャーニーは必要以上に困難に感じられることがあります。ユーザー体験が優れていれば、数え切れない小さなミスのせいでユーザーが破壊的になるのを防いでくれるのです。以上のさまざまな証拠が示しているように、操作が上手くいかないときに共感して教えてくれるプロセスは、ユーザーの怒りを鎮める絶大な効果があります。
悪い点を改善する
UXはフラストレーションを感じたときの鎮静剤として機能するだけではありません。注意深くデザインされ、一貫して精密に調整されたユーザー体験は、何よりもユーザーの怒りの原因を突き止めて防ぐことができます。
コンピューターレイジやテクノロジーへの苛立ちは、現代生活に当然の現象のように思えます。しかし、優れたUXデザインは、この苛立ちを鎮め、より良い製品に変えてくれます。UXデザイナーがユーザーの行動を分析し、フラストレーションの原因を見つけて改善し続ければ、ユーザーは最初から最後までスムーズな体験を楽しむことができるでしょう。