最近私の同僚が書いたブログに、悪名高きコロンビアの麻薬王Pablo Escobar氏にちなんで差別化を図った、バンクーバーの新しいレストランについて論じたものがあります(参考:UX MILKでの翻訳)。Pablo Escobar氏は、1980年代にアメリカのコカイン需要の80%を手に入れるために、航空機や自動車の爆破などを含めて5,000人以上の殺害に関与していた人物です。
このことを通じて私は、議論を巻き起こすプロジェクトに関わるデザイナーの役割について考えるようになりました。デザイナーたちは自分たちが関わっているものを理解しているのでしょうか? この問題について倫理的なサポートをしているのでしょうか? それとも、ただ指示に従って、頼まれたものを作るロボットのように振舞っているのでしょうか? 彼らは責任を感じるべきでしょうか? それとも、格好いいレストランのブランディングに携われたことを喜んでいるだけでいいのでしょうか?
害を及ぼさない
私個人としては、デザイナーには害を及ぼさないようにする責任があると考えています。「害を及ぼさない」とは、デザインについて話をする際にときおり言及される概念です。「何よりもまず害をなすなかれ(Primum non nocere)」とは、医学に携わる人々のための基本原理で、治療介入を決断する前に、介入によって与えてしまうかもしれない危害について考慮することを表しています(ヒポクラテスの誓い)。この言葉の起源は紀元前500年まで遡りますが、現在でもデザイン業界を含む多くの業界で使われています。
デザインにおいて「害を及ぼさない」という概念は、社会貢献の観点、つまり社会的な問題を解決するためにデザインを役立てる観点から論じられることが多いです。しかし残念ながら、この議論は表面的なデザインで終わることも少なくありません。UXの文脈では、インタラクションがユーザーのタスクの邪魔をしていないか、フラストレーションを与えていないか、タスクの達成を妨げていないかを確かめるときにこの概念が用いられます。これらは確かに重要なことで、私たちAkendiが仕事で最初に注意を向けることの1つですが、デザインが個人や社会に本当に害をおよぼす可能性を認識していることを踏まえると優先順位は低いです。
チェックとバランス
医療、自動車、建築、法律といった長い歴史のある業界は、多くの時間をかけて基準を作り上げ、発展させていきました。欧米諸国には建築物を詳細に規定する法律があり、その規定を確実に順守する技術者がいます。自動車メーカーは進化を続け、エアバッグを発明し、センサーやカメラ、警告といったシステムを搭載するなど、人々が傷つくのを防ぐ新しい技術を絶えず生み出しています(もっとも、歩行者をはねてしまう可能性のある自動運転車も作られているのですが)。
では、ネットの状況はどうでしょうか? 「害を及ぼさない」ためにデザイナーが取るべき責任は何でしょうか?
最近、Facebookが政治選挙に影響をあたえて民主主義を害してしまう可能性について論争が起こっています。またFacebookは、自分たちが社会からはみ出した自分勝手なグループにプラットフォームを提供して、他者に悪影響を与える機会を作り出している事実を直視していないとも非難されています。しかし、Facebookなどのソーシャルメディアは、元来は社会に貢献するために作り出されました。たとえ友人や家族が地球の裏側にいても、日々の暮らしを共有してつながれるようにしたことで、社会に恩恵をもたらしていたと主張することはできるでしょう。
しかし、営利目的のビジネスは、「害を及ぼさない」ようにガイドラインや規制を設けることに対して、どのような責任があるのでしょうか? Facebookの2017年度の収益は407億USドルに上ります。Facebookのデザイナー、さらにはリーダーたちは、プラットフォームの好ましくない使い方を予測して対抗策を打つべきでしょうか? 状況をすべて把握して、そういった使い方の対抗策を取るようにすることは、すべてのデザイナーが目指すべき課題だと私は考えます。
害を及ぼさないための5つの方法
1. 意識的に害を及ぼさない選択をする
害を及ぼさないよう心がけるのは個人的な意思決定なので、自分でガイドラインを設定する必要があります。自分が安心してサポートできると思えるものはなんでしょうか? 自分の名前はどんな方と関連付けられたいでしょうか? あなたにとってどのような行動が倫理的で、逆に倫理的でないと思うものはなんでしょうか? このような難しい問題を真剣に自問して、自分なりのデザインマニフェストを作りましょう。
そして、自分の信念を文字や絵などの方法で表現して、目的を具体化してください。どうしてデザイナーになったのですか? 学校でデザインを勉強していたときは何を思い描いていましたか? 喫煙者が増えればいいと望んでいましたか? 民主的プロセスを揺るがすことに人生を捧げたいと考えていましたか? デザイナーのおかげで、女性差別者が大勢に向かって性差別的な意見を表明できるプラットフォームを手に入れることを望んでいましたか?
クライアントとして関わるべき組織とそうでない組織について、Akendiでは何度も話し合ってきました。また、私たちはRGD(公認グラフィックデザイナー協会)やAIGA(米国グラフィックアート協会)などの専門職の基準も守っています。
2. クライアントの戦略の背景を理解する
クライアントが提案してきたアプローチを取ろうとしている理由を尋ねましょう。デザイナーからクライアントに質問してください。デザイナーの役割ではないと考えるかもしれませんが、デザイナー自身の倫理に合致したやり方を決められるよう、クライアントがやりたいことを理解する必要があります。多くの注目を集める最先端のレストランを作ろうとしているのであれば、強い衝撃を与えることなく、人々の生活状況に配慮しながら作ることも可能でしょう。
あるアプローチが好ましくない場合、その理由を言葉にするのはデザイナーの役割です。クライアントは、デザイナーが専門家だから雇っています。彼らはデザイナーの助言を信用し、デザイナーが専門的な経験を積んでいることを知っています。デザイナーの責務は、このような難しい話をしてクライアントを正しい道へ導くことです。
3. 誰のために制作しているか理解する
顧客に共感するは大切ですが(Akendi社長のブログを参照してください)、それだけが答えではありません。製品の良い面と悪い面の両方について顧客と話し、彼らの視点を理解しましょう。新しいゲームに関するサイトを作成するのであれば、いかにサイトが素晴らしいものになるかというクライアントの話だけを聞かないようにしてください。そのサイトを使う可能性のある人々と話をして、彼らの動機を理解しましょう。ユーザーが遭遇するかもしれない落とし穴は何でしょうか? エラーから抜け出せなくなるのを避けるために、どのようにツールや警告を組み込めればいいでしょうか? ユーザーを保護しながら好きなことをやる自由を与えるにはどうすればいいでしょうか?
4. デザイナーには制作物に対する責任がある
他人を傷つけるものを作ってしまったとき、上司やクライアントを責めることはできません。顔をそむけて知らないふりをすることはできないのです。自分の行動の責任は自分にあるので、自分が与えるだろう影響を考慮する必要があります。もし基本的人権を侵害するおそれがあるものを作ったとしたら、デザイナーは社会に損失を与えたことになります。払うべき注意を怠らず、現実をしっかり直視してください。害を及ぼさないよう、十分に注意を払って仕事をしましょう。
5. テストする
デザインをテストすることで、適切なものを作ったか確かめることができます。テストは、製品を世の中に公開する前に確認する最後のチャンスです。害を及ぼさないことが目標ならば、それを確認しましょう。自分たちが作ったものを人々はどのように思うでしょうか? 不注意に危険なものを作っていないでしょうか? フィードバックを恐れないでください。長期的に見れば、デザイナーとして成長し、良い結果につなげることができるでしょう。
デザイナーの責任
デザイナーには害を及ぼさない責任があると私は強く信じています。つまり、以下のことを守るべきです。
- 他人に害をおよぼすものを作らない
- 他人に間接的に害をおよぼすようなビジネスモデルを作らない
- 悲劇的な事件を美化したり、からかったり、軽んじたりするものを作らない
- 社会的に取り残された・置き去りにされたような人を種に商売をしない
- 基本的人権を無視するブランドにはデザインをしない
- 人々を不安を与えたり、パーソナルスペースを侵害しない
- 自分の思い通りになるように、人をだましたり操ったりしない
- 私たちが生きている世界を無視せず、制作物の持続可能性に配慮する
恐れずに「No」と言う
著名なデザイナーMilton Glaser氏はエッセイ『Ambiguity & Truth』の中で、デザイナーが直面する倫理的なジレンマを明らかにした「The Road to Hell」と呼ばれる質問リストを作りました。リストのどれを満たしていて、どれが害を及ぼさないか自分で試してみてください。
何をすべきか?
毎日自分らしく生きて、仕事に最善を尽くしましょう。デザインが持つ素晴らしい能力を、悪いことではなく良いことのために使いましょう。
自分が作成するすべてのものが害を及ぼさないようにすることは、デザイナーの役割であり課題だと私は考えます。この世界に生み出すものに誇りを持ちましょう。作成したものを堂々と宣言しましょう。関わったことを隠したり避けたりしなければならない立場に置かれないようにしてください。
自分がしたことに後ろめたさを感じているのであれば、それは正しいことではありません。倫理的に実行することができない重大な機会が訪れたら、どんな2歳児でもするように、無邪気に「No!」と言い放ちましょう。