突然ですが、いまから約2万年ほど前の地球には2種類のヒト族がいたことをご存知でしょうか?
ひとつはネアンダルタール人、もうひとつは我々の祖先であるホモサピエンス人です。ところが同じヒト族でもネアンダルタール人は絶滅してしまいました。同じヒト族としてなぜホモサピエンス人だけが生き残れたのでしょうか? 諸説はありますが、ひとつに学習能力の差が生存が絶滅かを決定づけたとされています。
つくるチカラと未来を考えるチカラ
学習能力は大きく分けて2つの力に分類されます。
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創造力(つくるチカラ)
洞察や試行錯誤といった経験から得られる個体学習のことを指します。
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未来思考力(未来を考えるチカラ)
他者の模範、教育によって得られる社会学習のことを指します。
そしてホモサピエンス人は特に後者の「未来思考力」に長けていたと考えられ、その秘密は言語によるコミュニケーション体系の違いにありました。野性的かつ一方的な意思伝達を目的とした会話がなされていたネアンダルタール人に対し、ホモセポエンス人は意思疎通と文化の伝承を目的としたコミュニケーション体系を発展させてきました。
ネアンダルタール人の石器はほぼ画一的であったことに対し、ホモサピエンス人の石器は時を重ねるごとに試行錯誤された痕跡が見られる、用途別につくられた石器が各所から多く見つかっています。つまり、つくるチカラに加えて他者との交流や模範、教育から得られる社会学習によって創造し、生存確率を上げたのです。
想像できるものは創造できる
UX をデザインするための方法論の探求に、私たちは十分すぎるほどの時間を費やしてきました。無駄を徹底的に無くし、早くつくることが正義という誤解を生みやすいリーンスタートアップ。「利用」することで画期的なアイディアが生まれると過度な期待が寄せられているデザイン思考。5日間で完結することに魅力を感じてしまうデザイン・スプリント。
本来であればデザインや伝わる仕組みそのものの UX を主体として考え、モノやコト、組織や社会の未来を考えるためのシステムとして浸透、発展させていくべきです。そしてそのシステムを伝道師として、エバンジェリストとして組織や社会に還元していくのが我々の役目なのではないでしょうか?
これでは前述のネアンダルタール人のごとく「つくるチカラ」のみが蓄えられ、生存確率を下げてしまいます。我々はもっと、かつての祖先であるホモサピエンス人がそうであったように「未来を考えるチカラ」に時間を費やすべきではないでしょうか?想像できるものは、創造できるのですから。